【検証・特定避難勧奨地点】「選択的な避難」提言 強制力はなく

 
2011年5月、南相馬市長だった桜井氏(左)は、当時官房副長官だった福山氏と会い、後に特定避難勧奨地点となる場所に関して意見を交わしていた。首相官邸を背景に、桜井氏と福山氏のコラージュ

 「県内にホットスポットが点在しています。どうしたらいいですかね」。2011(平成23)年5月、南相馬市長だった桜井勝延は官房副長官だった福山哲郎に呼び出され、首相官邸に向かった。一室で地図を広げる福山。桜井は、後に特定避難勧奨地点となる地域への対応について意見を求められた。

 桜井は政治の世界に身を投じる前、地元の産廃施設建設の反対運動に取り組んでいた。環境問題に詳しい学者たちとの交流も始まり、ある時、東京で開かれたフォーラムに参加した。そこで、まだ若い福山と出会っていた。

 立場を変え2人再会

 時は流れ、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生。桜井は被災地・南相馬市の市長、福山は被災地支援を担当する官房副長官になっていた。2人が再会するのは11年4月8日のことだった。

 災害協定を結んでいた東京都杉並区の提唱で、北海道名寄市などの自治体により、南相馬市を支援するための「自治体スクラム支援会議」が設けられた。会議のメンバーは、首相だった菅直人に設立を報告することになり、官邸に向かった。一行を出迎えた福山に、桜井が声を掛けた。

 「福山さん、久しぶりですね」。驚く福山に「前にフォーラムで勉強会を一緒にやったじゃない」と言うと、福山は「そうでしたか。後から私の部屋に来てください」と応じた。2人は旧交を温め、その後も4月下旬に実施した警戒区域の設定や避難指示区域の再編などについて、綿密に連絡を取るようになった。5月の福山の呼び出しも、その関係があったからだ。

 災害弱者を守りたい

 原発から20キロ以遠に点在する放射線量が高いホットスポットの地図を前に、桜井は原発事故でもたらされた苦難を思い起こした。面的で強制力のある避難指示により高齢者ら災害弱者が健康を損なった。次にまた地域ごとの避難が行われたら、市内の分断がさらに深まるのではないか―そんな考えも頭をよぎった。

 桜井は、福山に地域単位での避難に否定的な考えを伝え「避難させていい人と、避難させちゃまずい人を、ちゃんと国はやらないとまずいんじゃないの」と述べた。その基準については、放射線に敏感な子どもたちに配慮するようにも求めたという。福山は、桜井の言葉に聞き入った。

 2人の会談からしばらくたった6月9日、伊達市に政府の原子力災害対策本部の職員が訪れる。職員は、伊達市内のホットスポットに、新たな避難勧奨制度「選択的避難」を適用する考えを伝えた。飯舘村などに設定された計画的避難区域のような強制力はなく、あくまで「避難を呼び掛ける」制度の提案だった。

 新たな制度は6月16日、政府から「特定避難勧奨地点」として正式発表された。その枠組みは、桜井が新たな被害や分断をなるべく避けようとして行った提言に似通った内容になっていた。しかし、現場では、放射線量の測定によって地域が「点」で分けられるという新たな分断を生み出していった。(文中敬称略)