【検証・特定避難勧奨地点】指定見送り...唯一の小学校「廃校」に

 

 「学校は地区の文化の中心。それを取られちまった気持ちだったな」。伊達市や南相馬市で特定避難勧奨地点が指定された後、勧奨地点に近接する周辺自治体に余波が生じた。福島市大波地区では唯一の小学校が廃校に。廃校の校庭で開かれる夏祭りに携わる阿部光明(66)は「ずいぶんと振り回された。あの時の戸惑いが今ではうそのようだけど」と苦笑いした。

 県が原発事故後に、大波地区の放射線量を車載放射線量測定器で調べたところ、最大で毎時3.39マイクロシーベルトを記録した。そして勧奨地点指定の対象になるかどうかを調べる詳細な線量測定が、地区の民家で行われた。

 大波地区と小国地区

 「小国(伊達市霊山町小国地区)で指定されたんだ。おらほ(大波地区)もなっぺと当然のように思っていた」。阿部と共に夏祭りに携わる菅野健一(65)はそう考えながら、調査を見守った。大波地区と小国地区は、かつては同じ小国村。地域が隣り合っていることもあり、今でも結び付きがあるからだ。

 しかし、大波地区の指定は見送られた。測定の結果、年間積算線量が20ミリシーベルトを上回る民家がなかった。線量が高いとされ、調査対象になったことから勧奨地点の指定受け入れも覚悟していた住民もいたため「何でだ」と疑問が相次いだ。政府による説明会は紛糾し、住民の放射能に対する不安は払拭(ふっしょく)されることはなかった。

 勧奨地点の指定を巡る動きと、放射能への不安は大波小の児童減少という目に見える形で表れた。2010(平成22)年度は41人が在籍していたが、原発事故後の11年度には家族の自主避難とともに8人の子どもが学校を去った。

 その後も減少に歯止めはかからず大波小は14年休校。17年3月末に約140年にわたる歴史に幕を下ろした。阿部と菅野が最も危惧していた事態が現実のものとなった。「以前から少子高齢化は地区の課題だった。でもそのスピードが10年は早まっちまった」

 夏祭りに子どもの姿

 当時、大波地区自治振興協議会の副会長を務めていた阿部は、福島市教委から休校について説明を受けた。「大波小に上がる年代の子どもはいたんだ」と阿部は言う。それでも、保護者らは小規模校の大波小ではなく、近くのより児童数の多い学校を選択した。

 学校を残そうと協議会の役員らが保護者らに掛け合ったが、強くは言えなかった。「保護者の決定にわれわれが注文を付けることはできないからね」と阿部はつぶやく。

 阿部が約15年前に企画した夏祭りは、地域にとって欠かせないイベントになっている。原発事故が起きた11年は開催を見送ったが12年は通常通り行い、自主避難した子どもも姿を見せた。阿部は夏祭りの意義が増えたと思った。

 「知らない子が増えてきたな」。夏祭りの様子を収めたアルバムに2人は目を落とす。その表情は明るい。「大波小の校庭でやることに意義がある。地区の未来を担う子どもたちの元気な姿を校庭で見るためにも、俺らができることを続けるしかないだろう」(文中敬称略)

 【相馬・玉野地区】集落維持...広がる不安「過疎化止まらない」

 福島市大波地区以外にも、同市の渡利地区、いわき市川前地区など特定避難勧奨地点の指定が検討された地区がある。そのうちの一つ相馬市玉野地区。勧奨地点に指定された伊達市霊山町や、全村避難した飯舘村に隣接する玉野地区でも、小学校が一つ消えた。

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 玉野地区は指定されなかったものの、子どもたちへの影響を危惧する若い世代を中心に、避難が続いた。

 児童、生徒の減少で2017(平成29)年3月に玉野小や玉野中は廃校、事故後に休園していた玉野幼稚園は廃園に。それから約3年がたち、手付かずとなった小学校の校庭には草が生い茂る。

 「集落の維持が難しくなるという不安が大きい。元々人口が減り続けていたためしょうがないという思いはあるが、急速に拍車が掛かった」。原発事故の前年から玉野4区の行政区長を務めてきた伊藤一郎さん(71)は不安を口にする。
 高線量地区となったことで、子育て世代は地区外の仮設住宅やアパートに移り住むなど核家族化が大きく進行。市関係者によると、20人前後で推移していた玉野小の児童数は数年後には2、3人になるのが目に見えるようになったという。

 避難区域や勧奨地点に指定されなくとも影響は変わらないとして、地区住民らは14年に裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てた。提示された和解案は満足いくものではなかったが、住民は受け入れを決意。しかし東電側が拒否を続け、仲介は打ち切られた。現在、地区内の放射線量は市内の他の地区と変わらない。住民も線量を気にせずに生活している。「だが、加速してしまった過疎化の流れは止まらない」と伊藤さん。一度離れた若者が戻る見込みはなく、高齢化で耕作放棄地や空き家が増えていくことを懸念している。

 「原発が近くにあっても何のメリットもなかった。なのに負の影響ばかりが残った」。伊藤さんは寂しそうにつぶやいた。