【生きる・埼玉県加須市】「双葉理容」営業再開...新天地に根付く

 
「家族3世代で仕事するのが夢だ」と語る繁光さん。右は妻の照子さん、左は礼子さん

 「加須(かぞ)に根付いて生きていく」。双葉町の大井川繁光さん(82)は古里から約200キロ離れた避難先の埼玉県加須市で暮らすことを選んだ。町民に長く愛されてきた理容店「双葉理容」の新店舗を加須で再開させてから間もなく6年。店に掲げた「双葉理容」の看板の大文字に望郷の念を込め、繁光さんは今日も笑顔で店に立つ。

 大井川さんは亡くなった母ナツヨさんが始めた理容店の2代目。妻照子さん(81)と長男健児さん(58)、健児さんの妻礼子さん(55)の4人で繁盛店を切り盛りしてきた。笑顔の絶えなかった店の状況は東京電力福島第1原発事故で一変した。一家は2011(平成23)年3月12日に双葉町を離れ、町役場とともに川俣町からさいたま市、そして加須市へと避難先を移していった。

 長引く避難生活の不安やストレスに加え、店を失った喪失感が襲った。気分転換になればと、避難所で散髪のボランティアを始めると、町民から喜ばれ、大井川さんは生きがいを取り戻したようだった。家族の今後を考え、加須に定住すると決めてからは自分の店を開き再出発することが励みとなり、14年10月のオープンにこぎ着けた。

 店は東武伊勢崎線の加須駅から東に約1キロ離れた市街地にある。開店を契機に加須市内の別の理容店で働いていた健児さんが手伝うようになった。店内には3台の理髪用の椅子が並び、家族4人で協力し合った震災前の光景が戻った。「モットーは誠心誠意。長年続けた、までい(丁寧)なやり方が地元客に受けた」と大井川さんはうれしそうに話した。

 東北なまりの元気な声が響く店内。いつの頃からか客は双葉町民よりも加須市民の方が多くなった。双葉町民とは避難生活や古里について語り合い、加須市民には震災や原発事故について話すことがある。大井川さんは「多くの加須市民に来店してもらえてうれしい。双葉町民の避難を受け入れてくれた恩返しができるからね」と目を細める。

 仕事に追われる毎日だが、夢もできた。それは孫と3世代で店に立つことだ。孫の広恵さん(22)は理容の専門学校、友理さん(19)は美容の専門学校に通っている。「前を向いて、この土地で必ず成功したい」と大井川さん。理容一家は新天地で着実に歩みを進めている。

 『親分肌』加須でつなぐ絆 「ばあちゃん元気か」一軒一軒会話

 埼玉県加須(かぞ)市に住む約400人の双葉町民の約3分の1が双葉町埼玉自治会に加入している。「ばあちゃん元気か―とかな、一軒一軒会話して回るんだよ」。4月から自治会長を務める吉田俊秀さん(72)は東京電力福島第1原発事故前、町内でガソリンスタンドなどを営む「伊達屋」の社長だった。妻の岑子(たかこ)さん(75)と共にその広い人脈を生かして加須にできた「双葉コミュニティー」の中心的な役割を担っている。

 2011(平成23)年3月11日、東日本大震災の激しい揺れが襲った。スタンドは停電を免れたため、吉田さんは夜通しで多くの車に給油した。翌12日に原発の状況が悪化し、避難指示が出た。「これからどうなるか分からない」と思った吉田さんは家族らとタンクローリー3台に軽油や灯油を満載して避難先の川俣町に向かった。

「神様」から「鬼」に  双葉町民は体育館などに身を寄せていたが、暖房の燃料がなく、避難先を巡って給油した。寒い中、もたらされた暖かさに「あの時は『伊達屋は神様だ』と思われていた」と岑子さんは振り返る。その後、吉田さん夫妻は町役場とともに加須市の旧騎西高に移った。

 着の身着のままで避難した町民の間で支援物資の奪い合いも起きたという。吉田さんは臨時職員に名乗りを上げ、資材担当となった。親分肌の吉田さん。平等に物資を配り、避難所の掃除やごみ出しのルールも決めた。「厳しくて、今度は『伊達屋は鬼だ』と言われたよ」と苦笑する。

 東電による家賃賠償などが始まると、町民は騎西高から加須市内のアパートなどに移った。吉田さんは避難所を閉じる最後の日、施設に施錠する役割を担った。財物賠償が確立すると、多くの町民は以前の生活を取り戻そうと、加須市内に一軒家を求めた。自治会の役員は会員の家を巡り、絆をつないでいる。

 「自治会は加須の観光協会に入っており、地元の祭りに参加している。加須市民とのコミュニケーションも図ってるんだよ」と吉田さん。岑子さんは「地元とのあつれきはほとんどないね」と相づちを打った。

 両親の姿に子どもたちも動いた。長男は双葉町でガソリンスタンドを再開させ、次女は町産業交流センターで、かつて岑子さんが切り盛りしていたファストフード店「ペンギン」を復活させた。

 いわき市に避難する知人から「子どもの助けになるように戻ってきたら」と言われるという。「戻ったら口も手も出しちゃうよ。もう任せた」と吉田さんは笑う。「町が復興に一生懸命な時、それぞれができることに手を上げるというのが大事だと思うんだよな。加須でも、双葉でも」

 町民密着の「何でも屋」 双葉町、加須に支所

 双葉町は、埼玉県加須(かぞ)市に住む町民に行政サービスを提供するため、同市に埼玉支所を置いている。支所の職員は支所長の愛沢隆志さん(48)をはじめ5人。住民票の取得など生活に密着したさまざまな手続きを一人何役もこなし受け付け、加須といわき市の双葉町役場の間をつないでいる。

 「今度手続きがあるけど、元気。出てこられますか」。加須市騎西総合支所の中にある事務所では、町民の健康を気遣いながら連絡を回す職員の姿があった。愛沢さんは「今はだいぶ皆さん生活が落ち着いてきたので、業務は書類の手続きが主ですが、以前はいろいろありました」と振り返る。

 愛沢さんは、役場そのものが加須に避難していた時期も含めて、3度目の加須勤務だ。現在は加須市の社会福祉協議会などとの連携も十分だが、かつては1人暮らしの町民が救急搬送された時に、消防から連絡をもらって駆け付けることもあったという。昨年度までは、関東地方に避難している町民一人一人を訪問するのも、支所の業務だった。

 愛沢さんは、支所の役割について「双葉町の職員が近くにいることが大事なんだと思います」と語った。