【生きる・埼玉県加須市】「双葉の将来どうなる」...見届けたい

 
加須市の自宅脇で栽培している農作物の様子を見る作本さん

 東京電力福島第1原発事故に伴う除染で出た汚染土などを保管するため双葉、大熊両町に整備と搬入作業が進む中間貯蔵施設。双葉町から埼玉県加須(かぞ)市に避難している作本信一さん(67)の自宅は建設予定地内にある。将来は施設の「緩衝緑地」として利用される見通しだ。「自宅周辺の風景はがらっと変わるだろう。町の将来は一体どうなるのか」。遠く離れた地から古里の行く末を考える日々が続く。

 震災時は両親と妻、子ども、孫の8人家族。電気工事会社に勤務しながらコメを作る兼業農家だった。震災当日の3月11日は町内の工事現場で被災し、震災対応のため夜まで働いた。

 避難指示が出てからも停電した広野町役場の復旧作業などに当たった。すでに避難していた家族と会えたのは16日だった。その後、田村市や山形県などでの避難生活を経て、役場機能が移っていた加須市に落ち着いた。

 将来を考える余裕が出ると、本県への帰郷の思いが芽生えた。だが、孫が加須市の学校になじんだこともあり、迷いながらも2014年に家を加須市に新築した。周囲は田園風景が広がる環境。庭の畑で野菜を育てていると「望郷の念がよみがえってくる」という。

 同じ時期から自宅があった双葉町の下条行政区の区長を務める。「地区の皆さんに恩返ししたい」と考えて区長となった。今も区長として町民の絆を保つ機会をつくっている。一方で、今年は感染症対策で集まりが開催できず「みんなと会えないので残念だ」と肩を落としている。

 除染進めるため協力

 中間貯蔵施設の受け入れが決まると、元原発作業員だった父栄一さん(94)の意向も踏まえて用地契約を結んだ。「自宅周辺は放射線量が高く、すっかり荒れ果ててしまって住めない。県内の除染を進めるためには中間貯蔵施設に協力するほかない」と考えたからだ。

 ただ、気掛かりなのは町の今後。「双葉町民はこれからどうなっていくのか。生まれ育った双葉町の将来をしっかりと見届けていきたい」。課題が山積する古里に思いをはせる。