【検証・放射線】立命大名誉教授・安斎育郎さん 崩れた専門家の信

 
「専門家や行政に対する『信』が崩れたことが、今回の原発事故がもたらした大きな問題だった」と指摘する安斎さん=京都市・立命館大国際平和ミュージアム

 「先生、『御用学者』ってことになっていますよ」。東京電力福島第1原発事故の発生からしばらくたったある日、立命館大名誉教授の安斎育郎(80)に知人から連絡があった。インターネット上にそんな記載があった。放射線防護を専門とする安斎がテレビ番組に出演し、原発事故の放射線の影響について解説した後だった。

 安斎は番組で「事態を侮らず、しかし過度に恐れず理性的に対応しよう」と呼び掛けた。「放射線に対して過度に恐れずなんて言った途端、『恐れる事態だ』と思っている人から御用学者に認定されるんです」。安斎は当時の状況を振り返った。

 御用学者―。権力に都合の良いことばかりを発信する科学者を指す言葉で、原発事故後、ネット上などで頻繁に使われた。

 安斎は東大工学部原子力工学科の1期生。「原子力はこれからのエネルギー産業の基幹になる」と夢を抱いてその道に進んだが、次第に放射線は安易に扱うべきものではないと考えるようになった。東大医学部放射線健康管理学講座の助手になり、原発反対運動に身を投じた。1970年代、東京電力福島第2原発の設置許可の取り消しを求める訴訟にも加わった。

 原発事故直後、科学者に不信の目が向けられた。長く原子力政策を批判してきた安斎までもが、原発事故を「過小評価している」と批判を浴びることになった。

 安斎は「今回の原発事故の最大の問題は、国や科学者への『信』が崩れたことだった」と指摘する。

 「推進」か「反対」二極に

 国策として原子力政策が進められ、国が原発事故の当事者になったことが不信を強める結果を招いたと思っている。「『原子力政策を推進してきた国も科学者も、客観的なことは言えないだろう』と考える人は多かった。だから、専門家が原発推進派か反対派なのか、みんな区別するようになった」

 放射線を過小評価するのは原発推進派で、御用学者だ―。専門家はそんな視線にさらされた。純粋に科学的な情報を発信することが難しい状況になっていた。

 安斎は原発事故後、京都府から本県に通って放射線の測定などを繰り返し行い、不安を抱える人の疑問に答える活動を続けている。これまで本県を訪れた回数は70回。今は新型コロナウイルスの影響で中断しているが、来年にも再開する考えだ。

 専門家への「信」を取り戻すための活動でもある。「恐れるべきことは恐れるべきだが、過度に恐れず生活再建に取り組むことは大事だ。科学をベースに話をしながら、不安を抱えた人たちと一緒に悩む。悩みがある人は言ってほしい」(文中敬称略)

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 2011(平成23)年3月、国内初となる大規模な原発事故が発生した。混乱の中、関係者は原発事故に伴う放射線への対応を迫られることになった。放射線に関する情報発信や基準値づくりなど、国や専門家が取り組んだ原発事故初期の対応を検証する。