【検証・放射線】「基準値」独り歩き...厳しい数値設定混乱招く

 
高圧洗浄機を使った樹皮の除染の実験の様子。本県農家は放射性物質の低減のため工夫を重ねた=2011年11月、福島市

 「あの時、政府が(現状よりも)低い基準値を言えば、国民の皆さんは安心するだろうという想定があった。だが、数値の問題ではなかったんです」。東京電力福島第1原発事故の発生当時、国の放射線審議会長を務めていた丹羽太貫(おおつら)(77)は、食品に含まれる放射性物質の基準値が1キロ当たり500ベクレルから100ベクレルに引き下げられた背景をそう指摘する。引き下げは、原発事故から約1年後の2012(平成24)年4月のことだった。

 政府は原発事故直後に暫定の規制値を定めたが「より一層食品の安全と安心を確保すること」などを理由に見直し作業を進めた。日本の食料自給率が低いにもかかわらず、国内で流通している食品の半分が放射性物質で汚染されているなどと原発事故の影響の程度を過大に仮定して、実態よりも「安全側」に立った考え方の下で100ベクレルは算出された。米国の1キロ当たり1200ベクレル、欧州連合(EU)の1250ベクレルと比べ10倍ほど厳しい数値だった。

 放射線自体嫌がった

 「人々は何ベクレルであっても、放射線があるということ自体を嫌がった」。丹羽は、厳しい基準値が安心につながらなかった一方で、本県の農家に多大な努力を強いる結果を招いたと指摘する。

 県内の農家は厳しい基準値をクリアするために、果樹園の樹木一本一本を高圧洗浄したり、放射性物質の吸収抑制のために水田にカリウムをまくなど地道な対策を積み重ねた。「福島の農家は大変な苦労の末、対策をやりきった」

 安全、安心のため―。原発事故に伴う被ばくの程度をより過大に仮定するという風潮は、食品の基準値以外でもみられた。

 12年、世界保健機関(WHO)は原発事故についての報告書を発表した。この報告書は、後に発表された国連放射線影響科学委員会の報告書などと比べ、被ばく量を過大に推定しているのが一つの特徴だった。

 真実に近い推定を

 「われわれは慎重に物事を行うため、高めに被ばく量を見積もるんだよ」。当時、報告書についてWHOの専門家がそう発言したのに対し、丹羽は「間違いだ」と反論したという。「原発事故が起きる前なら過大に推定してもいいが、事故が起きた後は、推定はできる限り真実に近いものでなければならない。そうでないと、要らぬ不安が生じ、要らぬ対策が必要になる」

 現在、原爆被爆者の健康を調査する放射線影響研究所の理事長を務める丹羽は9年前の専門家の混乱を振り返りながら話した。「専門家は平時から、より安全側に立って影響を過大に推定する癖がついてしまっていたために、原発事故が起きた緊急時に、どうしたらいいのか分からなかったんです」(文中敬称略)