【検証・放射線】除染長期目標...年間1ミリシーベルト『懸念』

 
放射線モニタリングの方法について説明を受ける原発事故担当相だった細野さん=2011年7月3日、飯舘村長泥

 「率直に言えば、あのような過酷事故は想定していなかった。放射線の基準を含め、いろんな面で不十分だったと思う」。東京電力福島第1原発事故発生当時の民主党政権で、原発事故担当相や環境相として復興政策の立案を手掛けた衆院議員の細野豪志(49)は、放射線の基準決定を巡る内幕を語り出した。

 年間20ミリシーベルト異論なく

 細野が深く関与した基準は、避難指示の目安となった「年間20ミリシーベルト」と、除染の長期目標となった「年間1ミリシーベルト」の二つだ。政府は当初、原発事故による避難を同心円状に指示していた。その後、現地の放射線量に基づいた避難指示を出す方向に切り替えることになり、「原子力被災者支援チーム」という組織をつくり適用する基準の議論を始めた。細野はメンバーの一人。基礎としたのは、国際放射線防護委員会(ICRP)の「2007年勧告」だった。

 細野は当時の状況を「原子力安全委員会の助言も得て手探りで基準をつくった」と語る。ただ、チームの議論は、避難指示を「年間20ミリシーベルト」とすることに異論なく落ち着いたという。ICRPは、原発事故のような緊急時の被ばく管理目標の下限を20ミリシーベルトとしていた。原発事故後、しばらく被ばくが続く状況の管理目標の上限も20ミリシーベルト。細野は「ほかの基準を見いだしようもなかった」と話す。

 しかし、除染の長期目標を「年間1ミリシーベルト」とすることには議論があった。細野は「長期目標を1ミリシーベルトにすることは、除染を始める時の福島県側の強い意向だった。(当時の)佐藤雄平知事も譲らなかった」と明かす。年間1ミリシーベルトは、ICRPが平常時の被ばく管理の上限と同じ数値だ。

 除染を担当する環境相だった細野は、放射線の専門家を集めた作業部会をつくり除染についての考え方を議論した。放射線管理区域などの管理目安に年間1ミリシーベルトが適用されていたことなども踏まえ、作業部会は除染の長期的な目標を「年間1ミリシーベルト」とすることを妥当と判断した。

 ただ、細野は「『1ミリシーベルトを超えると健康被害が出る』とか、『1ミリシーベルト以下でないと帰還できない』とならないか」を懸念した。その不安は的中した。1ミリシーベルトを巡る受け止めは多様だった。中には科学的ではない言説もあった。

 事故を起こした立場

 細野は対応策として「丁寧に説明して分かってもらおう」と考えた。根拠のない指摘について反論、否定するように切り替えようとも思ったが、「政府は原発事故を起こした責任ある立場。なかなか難しかった」と明かす。

 細野は「無責任にならないよう、自分なら生活できるか、身内のことだったらどうかと考え基準を決めた」と振り返る。原発事故から間もなく10年。専門家や行政の思いとは裏腹に、放射線を巡る議論は今も百出している。(文中敬称略)