【検証・除染】中間貯蔵と自治体 受け入れ「苦渋の決断」

 
中間貯蔵施設の設置を巡り、国、県、自治体間で待ったなしの議論が続いた。中間貯蔵施設を背景に、左上から時計回りに佐藤氏、細野氏、根本氏、井戸川氏、渡辺氏、内堀氏のコラージュ

 「除染で出た廃棄物をいつまで地域で保管し続けるのか」。原発事故後、県内で生じた大きな懸念は払拭(ふっしょく)されることなく、中間貯蔵施設への除染土の搬入は続く。

 候補地反応さまざま

 原発事故当時の民主党政権は、2011(平成23)年8月、除染土の行き場がない事態の打開策として、県に除染廃棄物を集約する施設の建設を打診する。原発事故担当相や環境相を務めた細野豪志がキーマンとなり、立地候補地の絞り込みが進められていった。

 その過程は、震災10年を機とした関係者の証言により少しずつ分かってきた。細野は「第1、第2原発の立地4町には一定の役割をお願いするしかないなという話はしていましたね」と語り、知事の佐藤雄平、大熊町長の渡辺利綱、双葉町長の井戸川克隆への説得が最重要課題だったことを明かした。

 反応はさまざまだった。渡辺は「大熊の土を引き受けてくれる場所はあるのか」と自問し、復興拠点の大川原地区の整備などを視野に入れた建設受け入れに腹を固める。一方の井戸川は「なぜ双葉がそのような施設を受け入れる必要があるのか」と、態度を硬化させた。そこに「どこかに廃棄物を持って行ってほしい」という、県民世論も絡まり、中間貯蔵施設は、政治問題と化した。

 やがて自民、公明の両党が政権を奪回する。連立内閣の初代復興相を務めた根本匠によれば、設置の検討は議論百出となっていたが、12年の段階では「候補地に丸を描いただけ」という状況にとどまっていたという。双葉町長が伊沢史朗に代わり、楢葉町が候補地から外れるなどの動きを経ながら、建設受け入れの「苦渋の決断」に向けた流れが強まる。

 施設を巡る議論で、県側の「代理人」を務めていたのは、当時副知事の内堀雅雄だった。内堀は根本らと水面下で協議し、地域振興に使うことができる交付金の創設などの受け入れ条件を整えた。与党重鎮や首相官邸までを巻き込んだ一大工作だった。条件が整ったことを受け、佐藤は14年9月1日、当時の首相の安倍晋三に建設受け入れの意向を伝え、その3日後に残り任期限りでの引退を表明した。

 最終処分、場所どこに

 本県全体の復興、設置自治体の将来、地権者の人生など、多くの大事なものを巻き込んで設置された中間貯蔵施設。その設置期限は「搬入開始から30年」だ。すでにカウントダウンは始まっている。廃棄物は県外で最終処分されるのか、その場所はどこか―。今後、再び大きな政治問題になることも想像に難くない。その時、県民の意思は守られるのか。答えは将来に先送りされている。(文中敬称略)

 中間貯蔵施設 県内の除染で出た土壌や廃棄物などが運び込まれ、集中的に保管する施設。大熊町と双葉町に立地する。搬入開始は2015(平成27)年3月13日。設置期間は搬入開始から最長30年の2045年3月12日まで。この期限までに「国が責任を持って県外処分を完了するために必要な措置を講じる」ことが法律に記されている。