【検証・除染】「土壌再利用」手探り 飯舘、花卉や農作物育てる

 
飯舘村で行われている食用作物の試験栽培。昨年の収穫物からは食品の基準値を超える放射性セシウムは検出されていない

 県内の除染で出た土壌が次々と中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)に運ばれる中、飯舘村で積まれた土壌の一部は異なる目的地へ向かう。土壌が積まれた大型ダンプは帰還困難区域の長泥地区にたどり着く。土壌はここで資材化され、農地の土として生まれ変わる。環境省による除染土壌の「再利用」に向けた実証事業だ。

 除染土壌の再利用―。同省は2014(平成26)年、中間貯蔵が終了する30年後に、除染で出た土壌を公共事業の建設土などに再利用する方針を打ち出した。放射性物質の自然減衰を背景にした計画で、県外最終処分へ向けた搬出量の圧縮も見据えたものだ。

 風評被害恐れ反発

 南相馬市の仮置き場で16年、初の実証事業が始まった。その後、常磐道4車線化の工事に活用される計画も立った。さらには、二本松市の市道でも土木資材とする構想が浮上。しかし、いずれも風評被害を懸念する住民が猛反発した。計画は現在、暗礁に乗り上げており、住民の理解なしには進まない現状が浮き彫りとなった。

 基準値超え検出なし

 飯舘村では18~19年に段階的に実証事業が開始。村内の土壌に限り、再利用が進む。放射性セシウム濃度が1キロ当たり5000ベクレル以下の土壌を農地造成に活用。そこに覆土をして花卉(かき)のほか、ミニトマトやカブといった農作物も育てる。収穫物からは食品の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超える放射性セシウムは検出されていない。

 「世界的にも例のない取り組みを発展させることが使命だと思う」と同地区前区長の鴫原良友(70)は意義を語る。「『人が住めるのか』など否定的な声もあるが、全員で考えて決めたんだ」。描く理想は"長泥発の産業"だ。

 しかし、受け入れがスムーズに決まったわけではない。同地区では当初、「ミニ復興拠点」の計画策定があったが、その面積はわずか3ヘクタールほどだった。しかし、17年に土壌の再利用に合意して環境省の実証事業を受け入れたことで、復興拠点の面積は当初の60倍超の186ヘクタールにまで拡大する"折衝"もあった。鴫原は「土壌を受け入れる代わりに、手付かずの古里を復興に一歩近づけるための苦渋の決断だった」と回顧する。

 除染せず避難解除

 帰還困難区域でも、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の整備や除染が進む。一方、拠点外については方向性すら示されてこなかった。そんな中、政府は飯舘村の要望を受け、除染をしないで解除する新たな方針を示した。この方針に対する考え方は賛否両論で、帰還困難区域を抱える他の5町村は意見が異なる。今後、飯舘村では解除に向けて住民を交えた協議が進む見通しだ。

 鴫原は現時点で住民に対する政府の説明はないとした上でこう注文する。「正しいのか間違いなのかは分からない。でも、長泥のみんなで決めたい」(敬称略)

 【環境省環境回復検討会委員・森口祐一氏に聞く】事故から生かすことある

 除染は本県に何をもたらし、どんな課題を突き付けたのか。環境省の環境回復検討会委員で国立環境研究所理事の森口祐一氏(61)=環境システム学=に話を聞いた。

 ―住民誰もが何をどうすればいいのか分からないまま除染が始まった。
 「当時(有識者でつくる)環境省環境回復検討会で(除染の枠組みが)議論されたが、福島事故後の具体的な方法について知見を有していた十分な専門家がいたとはいえなかった。準備ができていなかったことは明らかで、その場で考えながら除染方法の枠組みをつくっていかざるを得なかった」

 ―除染土などは2045年までに県外で最終処分することになっている。
 「中間貯蔵後、除染土をどうするかは避けて通れない。世論調査の結果などからは県外最終処分には懐疑的ということもあるだろうが、法律で決まっている以上は準備もしなくてはいけない。どの程度の放射能レベルのものをどのくらいの量運び出さなければならないかという具体的な検討が必要だろうということで、学会では議論されている。決してタブーとせず、きちんと議論することが必要。今、軽々にどこでというよりも、その決め方が重要だろう」

 異なる運用あっていい

 ―除染で出た土壌の再利用についての考えは。
 「私自身としては比較的慎重に考えていた。やみくもに『除染土は再利用をするのが当たり前だ』というような一律の考えにならないようにすべきだということに注意をしてきたつもり。だが、やってはいけないということではなく、十分な理解を持ってやっていくべきだろう。賛否両論あると思うが、汚染の度合いとか産業構成とか、地域に差異があるので、異なる運用にならざるを得ない、むしろそれがあっていいと思う」

 ―震災、原発事故からもうすぐ丸10年となる。
 「ここまでの10年は何とかマイナスをゼロに近づけようという10年だったと思う。除染だけやってもゼロに近づくだけで、そこから先、より良い価値が生まれるわけではないので、どうやってそこから復興につなげていくのかという議論をしなければという段階にようやくなってきているかなと思う」

 ―除染にはいろいろな科学的知見が投入された。
 「理系的な科学技術の話とは別に、社会との間でどうやってこういう難題を解決していくか、一緒に考えていくかということが、福島事故からもっと日本の社会が生かさないといけない部分だろうという思いを非常に強く持っている。現時点では十分とはいえないが、前を向いていける部分もあるかなという手応えが少しずつ得られつつあるので、それを育んでいきたいという思いがある」

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 もりぐち・ゆういち 京都市出身。京大卒、博士(工学)。国立環境研究所理事、東大工学系研究科都市工学専攻教授。環境省環境回復検討会委員。