【検証・帰還困難区域】浪江 先祖のお墓を守りたい、それだけ

 
エゴマ畑の前で「食と農に一生懸命取り組んで浪江を盛り上げたい」と話す石井さん=浪江町加倉

 「ここらへん一帯にエゴマを植えるの」。浪江町加倉の国道114号沿いに広がる約10ヘクタールの農地を指す石井絹江(69)の声が弾んだ。

 町役場に約40年勤め、あと1年で定年という2011(平成23)年3月、東日本大震災が起きた。石井は、東京電力福島第1原発事故による全町避難の中、津島診療所の職員として住民を支え、12年に退職した。

 「町に恩返しがしたい」。退職後、仮設住宅で暮らす町民に弁当を配る民間の活動に2年ほど協力した。農業を通して古里とつながりたいと考え、友人と福島市飯坂町平野で農業を始めた。「浪江の特産品を福島で作る」。15年に退職金を使って加工場付きの「石井農園」を設立した。作り始めたのはエゴマやカボチャ。町産業振興課時代に地域おこしなどでエゴマ栽培を進めてきた経験が生きた。

 石井農園の看板商品であるエゴマ油や果物のジャムには全国から注文が入る。「人間は食が一番。浪江のエゴマは日本一の品質だ。全国に発信していきたい」と夢が膨らむ。福島市を拠点としながら、浪江町でのエゴマ栽培も17年に本格化した。力を貸してくれる仲間も増えた。順調に見えるが、石井の心は晴れない。

 石井の自宅は山間部にある浪江町津島の赤宇木(あこうぎ)地区。原発から放出された放射性物質で高線量となった。「帰還困難区域」。石井の古里はそう呼ばれている。

 「今日も訃報が届いたの」。同じ津島で暮らしていた知人が、避難先の長野県で亡くなったという。「私たちは避難で心が参った。『何でこの人が』という人が亡くなっている」。その口ぶりは、農業の将来を語っていた人とは別人のようだ。「いつかは元に戻ると信じているが、それまで生きていられるかな」

 帰還困難区域の中でも、自治体が選んだ地域には特定復興再生拠点区域(復興拠点)が設けられ、住民は除染の完了などを待って帰ることができる。しかし、石井の自宅は復興拠点から外れている。亡くなった前浪江町長の馬場有に「自己責任でいいから帰して」と直訴したこともあった。

 「自分が本当に落ち着けるのは津島の山の中。不便だなんて思わない。できれば戻りたい」と石井は古里への思いを明かした。

 農業にやりがいを感じ、忙しく働くが、疲れることがある。そんなときは決まって浪江町を訪れ、町民と話をして元気をもらう。頭をよぎる津島の風景。「帰って先祖のお墓を守りたい。ただそれだけなんだけど」。その願いはかなうのか、震災から10年が経過した今も、見通せない。(文中敬称略)

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 帰る、帰らない。帰れる、帰れない。原発事故が引き起こした理不尽は、今も続いている。古里が帰還困難区域となった県民の思いを追った。

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 住民避難は現在進行形

 東京電力福島第1原発事故に伴い、原則立ち入りが禁止されている帰還困難区域は7市町村の約337平方キロに及ぶ。面積は東京23区(約628平方キロ)の約半分に相当する。この地域に住民登録している人は2万2200人を超える。東日本大震災と原発事故から10年が経過しても、住民避難は現在進行形だ。

 帰還困難区域という枠組みは2011(平成23)年12月、政府の原子力災害対策本部によって決められた。当時、原発事故による避難区域は、主に第1原発から半径20キロ圏内に設定された「警戒区域」と、20キロより離れているものの、放射線量の高い「計画的避難区域」に分かれていた。

 政府は、原発の状態が一定程度落ち着いたことを受け、これらの区域を放射線量に応じて三つの区分に再編することにした。帰還困難区域は、5年が経過しても年間被ばく線量が避難指示の目安となる年間20ミリシーベルトを下回らない恐れがあるか、その時点で年間50ミリシーベルトを超える地域と定義。指定については自治体と協議して決めることにした。

 再編が終了したのは13年8月。区域内では除染などが行われず、復興の歩みから取り残される形になった。しかし、時間の経過により放射線量が下がった地域もあり、関係自治体から区域の扱いの再検討を求める声が上がった。これを受け、政府は16年8月、帰還困難区域内に住民の帰還を認める特定復興再生拠点区域(復興拠点)を設けることができるようにした。

 該当する区域に住民がほとんどいなかった南相馬市を除き、双葉、大熊、浪江、富岡、飯舘、葛尾の6町村はそれぞれに整備計画を作り、復興拠点の範囲と避難指示を解除する目標時期を決めた。しかし、それは帰還困難区域の中に、自宅が復興拠点に入った住民と、復興拠点から外れてしまった住民という、新たな分断を生むことになった。

 復興拠点外の地域を巡っては、政府は「たとえ長い年月を要するとしても、将来的に帰還困難区域の全てを避難指示解除」するという決意を示したが、実際の動きは鈍かった。

 一石を投じたのは飯舘村。住民が住まない形での避難指示解除を提案した。政府は昨年12月、住民帰還や居住を想定しない場合、年間20ミリシーベルトを下回れば除染をしなくても避難指示を解除できるようにした。しかし、この基準緩和を巡っては、拠点外の区域も除染した上で避難指示を解除してほしいと訴えてきた自治体からは「飯舘特有の事情だ」との声が出ている。

 帰還困難区域全体の扱いをどうするのか。望郷の思いを持った避難者が高齢化する中、政府の議論が注目される。