【検証・帰還困難区域】葛尾 「奪われた」山の幸と絆

 
野行地区に伝わる「宝財踊り」の映像を見て表情を緩ませる半沢さん。震災10年を経て古里への帰還を心に決めた=葛尾村村民会館

 「平穏だったよな」。元葛尾村職員の半沢富二雄(67)は、古里の野行地区に伝わる村無形民俗文化財「野行の宝財踊り」を記録したDVDを見ながら表情を緩めた。村の北東に位置する野行地区は、東京電力福島第1原発事故に伴い帰還困難区域に指定され、現在も帰ることができない。

 「宝財踊り」は大正時代、地区に隣接する浪江町から伝わった踊りだ。「棒振り」や「博徒」などの役に分かれ、色鮮やかな衣装で舞い踊る。一度途絶えたが、1983(昭和58)年に若き日の半沢ら地区有志の手で復活した。復活後、初めて住民の前で披露した時、お年寄りから「そうだ、これだ」「もっと元気よく踊れ」と歓声が上がったことを、半沢は今も思い出す。

 DVDには、その頃の映像が収められている。笛の音色に合わせて踊る人、踊りの合間に映る人。原発事故の避難により散り散りになってしまった。亡くなった人もいる。半沢は、宝財踊り保存会の会長として、地区の記憶を伝えるためDVDを村などの支援で作成した。「本当に結び付きが強くて、いい集落だったんだよ」と、過ぎし日に思いをはせる。

 避難後は郡山市に新居を構え、野行地区の自宅に通った。来るたびに草刈りなどをしたが、イノシシなどが侵入したことで家は荒れ果てた。「もうここには住めない」と考え、3年ほど前に家を解体した。

 時間がたつ中で別の思いが心を占めるようになった。「やっぱり野行がいい。何とかしたい」。原発事故から10年を経た今、60年の人生を過ごした古里に帰ることを決めた。

 ただ、葛藤もある。「葛尾は高い山がなく、山菜やキノコがたくさん採れる。避難する前は家を訪れる人に旬のものを食べさせ、お土産に持たせることが何よりの楽しみだった」。他の地域にはないもので人をもてなす。山の幸が人を結び付ける絆だった。

 野行地区の除染は、基本的に道路などから20メートルの範囲で行われるため、山で山菜やキノコを採ることは難しい。「自慢できる大切なものがないのは残念。というよりそれが現実だな。野行に帰るという価値観ってなんだろうな」と、自問せざるを得ない。

 他に比べ、帰還困難区域で行われている地域再生策が少ないことに不安はある。しかし、半沢は「誰かが住まないと駄目。住めば、他の人も帰ろうと思ったり、新しい人が来たりするかもしれない。2、3人の帰る仲間がいる。先駆者になってもいい。できそうな気がするよ」と思いを語る。古里の記憶や土地をつないでいく。その誇りが、背中を押す。(文中敬称略)

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 葛尾村の帰還困難区域 野行地区の約1600ヘクタールが該当する。このうち、地区内の主要道の周辺など約95ヘクタールを特定復興再生拠点区域(復興拠点)として整備する。同地区では震災前、約120人が生活していた。村は来年春の避難指示解除を目指し、秋にも準備宿泊を行う方針を固めている。復興拠点は、「中心地区再生ゾーン」と「農業再生ゾーン」に分けられる。昨年までに除染や家屋解体などがほぼ完了しており、現在は被災した道路やインフラなどの復旧、整備が進められている。