【検証・帰還困難区域】飯舘 酪農に情熱、長泥の生活諦めない

 
牛を育てながら「長泥で暮らすことを諦めたくない」と話す田中さん=飯舘村草野の畜産技術センター

 「このまま除染をしないで解除されたら(除染をしていない場所との)レッテルを貼られ、内輪もめの種にもなりかねない」。飯舘村長泥で酪農を営んでいた田中一正(50)=福島市に避難=が抱く懸念の背景には、村唯一の帰還困難区域である長泥の避難指示解除を巡る方針転換がある。除染未実施でも解除―。田中は、この"例外措置"に戸惑いを隠せないでいる。

 政府は2018(平成30)年、長泥の約186ヘクタールで除染とインフラ整備を一体的に進める特定復興再生拠点区域(復興拠点)の計画を認定した。住民が村に求めた整備計画案は約3ヘクタールとごく小さな面積だったが、村内の除染で出た土壌を再利用する環境省の事業を受け入れたことで面積は約60倍に拡大した。それに伴い復興拠点に含まれない住民のほうが圧倒的少数になった。

 田中もその少数派の一人だが、長泥の土地を手放そうと思ったことはない。「自分が住んでいた場所は利便性が悪かった。後回しになるのは確かに合理的でしょうがないよな...」と無理やり納得していた。そんな中での政府方針は「並んでいたと思っていた列に『あなたは並べませんよ』と一方的に部外者扱いされたようなもので、ショックだった」とこぼす。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後、地域や住民の「分断」は何度も繰り返されてきた。飯舘村では17年に大部分で避難指示が解除されると、長泥の住民に「まだ避難していていいな」などと、心ない言葉が掛けられたこともあったという。村内での分断は、避難指示解除からの時間の経過とともに薄れていると感じている。だが、田中はこのまま解除を受け入れた場合、長泥で再び分断が起きると思っている。「除染をしてもらった所とそうでない所。どうしたってうらやましいと思っちゃうでしょ」

 田中は01年、栃木県の大規模牧場を独立し、縁もゆかりもない飯舘村に移り住んだ。先祖伝来の土地ではないが、自ら求めて手に入れた土地だ。原発事故までの10年、長泥で酪農に情熱を注いだ。「死ぬときは長泥の牛舎でと決めている」と、思いは揺るがない。今も村の施設を借り受け、乳牛を育てながら「畜産の村」の復活を目指している。

 政府が示した新たな方針は、住民の帰還や居住を想定しない形での土地活用に限って適用される。田中は「住まない前提で進んでいるが、戻るか戻らないかは、その環境が整って初めて決断できること。勝手に決めないでほしい」と述べ、こう訴えた。「僕は権利を放棄しようとは思っていない。長泥はまだまだ可能性がある土地なのだから」(文中敬称略)

          ◇

 飯舘村の帰還困難区域 長泥地区の1080ヘクタールが該当する。地区の186ヘクタールに特定復興再生拠点区域(復興拠点)を整備し、2023年春の避難指示解除を目指す。政府は村の要望を受け、昨年12月に復興拠点から外れた地域の避難指示解除の要件を決めた。住民の帰還や居住を想定しない形の土地活用に限り、放射線量が年間20ミリシーベルトを下回れば除染をしなくても避難指示を解除できるとする内容で、他町村に波紋を呼んだ。長泥では、除染で出た土を農地造成に再利用する事業も進んでいる。