【検証・コミュニティー再生】川内 「移住者」地域の起爆剤に

 
念願の花屋を開業した福塚さん。「就職の選択肢が増えれば若い世代の関心を引き寄せる」と語る=川内村下川内

 「残念ですが、震災前の姿には戻りません」。東京電力福島第1原発事故で全村避難を経験した川内村は、村民に新たな村づくりへのメッセージを発信し、協力を呼び掛けている。2012(平成24)年1月、避難指示が出た自治体の中でいち早く「帰村宣言」を行ったが、原発事故を境に高齢化が加速した。地域再生の起爆剤として進めるのは移住者の積極的受け入れだ。

 村中心部に今年4月、花屋がオープンした。店主の福塚裕美子(35)は大阪府出身。震災後に転勤や移住によって新たな村民となった約400人のうちの一人。「双葉郡は(ビジネスの)ニーズが少ないかもしれないが、競合も少ない。チャンスがあると思った」。色とりどりの花を手入れしながら、起業と移住の場に川内村を選んだ理由を語った。

 福塚は村出身の友人がいた縁で、12年5月から約2年半にわたり村の臨時職員などとして復興支援に携わった。夢だった花屋の開店に向けドイツで修業した後、18年7月に村に戻った。花の移動販売で人脈や販路を広げ、念願の店舗を開店。現在は双葉郡唯一の花屋として村に嫁いできた女性2人を雇い、生き生きと働く。

 ただ、福塚は「今の川内村は若者にとって(働く場の)選択肢の幅が狭く、少し魅力に乏しいのかもしれない」と感じているという。

 村は村民や移住者が働く場を確保するため、17年に村として初めて田ノ入工業団地を整備した。2社が進出し、50人近くの雇用が生まれたが、いずれも製造業だ。震災後に団地以外に進出してきた企業も工場が中心で、地元の商工関係者からも「業種に偏りがある」との声が漏れる。

 村民に支えられ、村内で確かな一歩を踏み出した福塚。「若者のアイデア次第で企業誘致に頼らなくても魅力的な仕事が生まれる可能性がある。ただ、背中を押してくれるような取り組みがないと実現は難しい」と、自らの経験から起業支援の必要性を指摘する。

 「議論する場が必要」

 移住者にとって、地域になじめるかどうかも関心事の一つ。「必要とされていないのではないかと思ったこともあった」。埼玉県出身の関孝男(46)は移住8年目の古株の「新村民」。勤務先でどこか保守的に感じる村民性と、変化を求める自分の意見が衝突し、息苦しさを感じたことがあった。「村がより良い方向に向かうには、移住者と村民が議論する場が必要ではないか」と考える。

 移住を希望する人の関心を、どのように川内村に引き寄せるか。移住者と村民が互いの長所を生かし、共生する環境をどのようにつくっていくか。自然豊かな阿武隈高地に抱かれた静かな山村で、試行錯誤が続いている。(文中敬称略)

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 川内村の人口 6月1日現在、住民票のある2489人のうち82%に当たる2043人が村内で暮らしており、双葉郡8町村の中で人口が順調に回復している。65歳以上の高齢者が占める割合は全体の48.70%。震災当時、人口3038人に占める高齢者の割合は33.93%で、この10年で急速に高齢化が進んだ。村は企業誘致に加え、ブドウ栽培によるワイン醸造、イチゴの生産などの新産業創出を図ることで雇用の場を確保し、若年層の移住・定住を政策的に進めている。