【検証・コミュニティー再生】大熊 「新たな絆」...今を生きる

 
「楽しく暮らせる大熊をつくろう」と語り合う新妻さん(右)と佐藤さん=大熊町大川原・災害公営住宅

 大熊町の南部に位置する大川原地区は、真新しく整然とした街並みが印象的だ。町内でも比較的放射線量が低く、町は東京電力福島第1原発事故からの再生の足掛かりとして集中的な整備を進めた。大川原の災害公営住宅に住む新妻茂(72)は「ここは古里なんだけど、隣にどんな人が住んでいるのか分からない。みんな『初めまして』なんだよ」とぽつりと言った。

 新妻は大川原の出身で原発事故後、会津若松市の仮設住宅で避難生活を送った。2014(平成26)年9月、息子の勤務先に近い茨城県高萩市に住宅を再建し、家族との穏やかな暮らしを取り戻した。だが、古里への恋しさは消えなかった。大川原に公営住宅が整備されることを聞くと、家族の理解を得た上で、単身町に戻った。

 大川原には、同じ規格の戸建て公営住宅が約90戸立ち並ぶ。そこに大熊町のさまざまな地区に住んでいた町民が集い、生活を再開させている。兼業農家だった新妻は、庭いっぱいに季節の花を咲かせた。通りすがりに「きれいですね」と声を掛けてくる人もいたが、互いを深くは知らない。「2年たっても、あいさつ以上の会話はなかったな」と話す。

 何か寂しい―。新妻と同じような思いは他の住民も抱いていた。その雰囲気を感じ取ったのが、町の復興支援員を今年3月まで務めていた佐藤亜紀(38)だ。「住民団体をつくったらどうだろうか」。そう考えた佐藤の頭に新妻の顔が浮かんだ。佐藤はかつて、町民が避難先でコミュニティーをつくる動きを支援していた。「茨城おおくま友の会」を発足させた時、役員を務めてくれたのが新妻だった。佐藤は新妻に団体づくりを相談した。

 「あいさつ以上」に

 昨年夏、佐藤の呼び掛けで、新妻ら数人が住民団体「おおがわら会」の設立に向けて動きだした。手始めに町役場で、住民の交流会を3回開催した。毎回約40人が集まり、「あいさつ以上」の会話が大川原に広がっていった。

 会には、町民だけでなく、原発で働く東電社員寮の入居者にも参加してもらう予定だ。新妻は「原発事故を起こした東電という企業には『こんちくしょう』という思いがあるよ。でも、個人と個人の関係はそうではない。どんな思いで廃炉に携わっているのか、たくさん話を聞いてみたい」と考えている。

 会の設立はもうすぐだ。準備を進める新妻は、住宅地を歩きながら少し晴れやかな表情で佐藤に話し掛けた。「楽しく暮らせる新しい大熊をつくりたいね」

 生い立ちや立場が異なる住民が集まって、今を生きる場所で新たなコミュニティーがつくられようとしている。震災と原発事故から10年、福島がようやくたどり着いた現在地だ。(文中敬称略)

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 大熊町大川原地区 東京電力福島第1原発事故により居住制限区域となった地域で、2019年4月に避難指示が解除された。町の新たな拠点として新庁舎や災害公営住宅、商業施設、東電の社員寮などが集まっている。認定こども園を併設した義務教育学校の整備も計画されている。同じく避難指示が解除された中屋敷地区を含め、6月1日現在の町内居住者数は推計916人。このうち約300人が町民、約600人が東電の廃炉作業員。