【59市町村・この10年】大熊の避難者受け入れ 会津若松市

 
大熊町若松出張所の開所式。当時の市長の菅家一郎氏と町長の渡辺利綱氏(左)が看板を掛けた=2011年4月

 原発事故に伴い浜通りの自治体から多くの避難者を受け入れた。大熊町は2011(平成23)年4月に役場機能を移転させ、町民の集団避難を進めた。町民は当初、東山温泉の旅館などで生活したが、12年12月までに市内12カ所に仮設住宅が設置され、移転。市民と町民の交流が各所で生まれ、固い絆で結ばれた。

 市の基幹産業の農業、観光は風評被害を受け続けてきた。観光客の入り込み数を見ると、10年は278万人だったが、11年に234万8千人に激減。だが、13年にNHK大河ドラマ「八重の桜」が放送されると、過去最多となる395万9千人に。翌年は「八重効果」の反動で落ち込んだものの、インバウンド(訪日外国人旅行者)が増加。18年の戊辰150年などで市内の観光産業に追い風が吹いた。

 市内の避難者は次第に減少し、大熊町は19年5月に役場機能のほとんどを元の町に戻した。市内で授業を続ける町立の小中学校も23年4月に町内に移転される見通しだ。