【59市町村・この10年】交流通し楢葉町民と絆 会津美里町

 
宮里仮設住宅で毎年行われていた「ならは夏まつり」。町民らも参加し、交流を深めた=2012年8月

 町は発災後、災害時相互応援協定を結んでいた楢葉町の住民避難を受け入れた。2011(平成23)年3月には町内に楢葉町の災害対策本部が移転し、災害対応の指揮が執られた。

 同年6月には宮里仮設住宅が建設され、一時は約500人が生活した。18年3月に閉鎖されるまで、町民有志が交流イベントを開催するなど、さまざまな形で避難者を支えた。

 楢葉町との絆が強まり、日本酒の製造にも結び付いた。楢葉町産のコメを使い、町内の酒蔵で仕込んだ日本酒「楢葉の風」が18年に販売された。

 原発事故による直接的な影響を受けたのは町内などで生産される会津身不知(みしらず)柿。輸出が中断された。08年からタイなどに輸出され、富裕層に好評を得ていただけに、関係者の落胆は大きかった。

 町などが風評払拭(ふっしょく)に取り組んだこともあり16年にタイやマレーシアへの輸出が再開。20年には10年ぶりにシンガポールへの輸出も再開した。