【処理水の行方】リスクのしかかる漁師...積み上げた信頼ゼロに

 
漁船が浮かぶ小名浜の海を見つめる馬目さん。「原発事故処理の責任の片棒を担ぐつもりはない」と言い切る=いわき市

 「何をやっても漁業者が悪者になる。俺らからどうしろとは言えない」

 東京電力福島第1原発で日々発生し、地上タンクにため込まれる一方の放射性物質トリチウムを含んだ処理水。その処分方針を決めるための議論を巡り、いわき市漁協副組合長の馬目祐市さん(57)は、複雑な心境を語る。

 処理水の処分方法や風評対策などを検討していた政府の小委員会が2月、海洋と大気への放出を「現実的な選択肢」とする報告書を公表した。その後、政府は関係団体からの意見聴取会合を開催。新型コロナウイルスの感染が拡大する状況下でも、テレビ会議システムを使うなどして進み、一部で「スケジュールありき」と勘繰る声も聞かれた。

 漁業者はこれまで、福島第1原発の汚染水対策として計画された地下水バイパスやサブドレン計画などの実施を容認してきた。しかし、今回の処理水について、馬目さんは「全く別物」と捉えている。

 地下水バイパスやサブドレン計画は汚染水の発生量を減らす対策と考えた。しかし、処理水の処分はトリチウムを含んだ水を意図的に放出するように感じる。

 中学生の頃から両親の漁の手伝いをし、高校卒業後に漁師になった馬目さん。本県沖は、親潮(寒流)と黒潮(暖流)がぶつかる「潮目の海」。魚の餌となるプランクトンが豊富な漁場で、コウナゴやシラス、アワビにウニなど、「どこにも負けない品質」の魚介類を取り、家族を養ってきた。

 原発事故後は漁業復興に向け汗を流してきた。しかし、事故から10年目に入っても「福島の魚を食べても大丈夫なのかという人がいる」。県産食材を購入しないという言葉を見聞きしてしまうと、情けない気持ちで胸が詰まる。

 県産食材の輸入規制を続ける国もまだ残る。どんなに科学的なデータを示しても、10年間拭い去ることができない風評がある。処理水の放出を認めることは、起こると分かっている新たな風評までものしかかる状況になる。「懸命に積み上げてきた信頼ですら、下手をしたらゼロに戻る。そういうリスクを漁業者が背負うことなんだよ」と語る。

 また、仮に漁業者が放出を容認したとしても「放出反対の人たちから、なぜ漁業者が決めるんだと責められるだろう」と考える。被害者のはずが、いつの間にか原発事故の処理を進めていく上での歯車のように見られてしまっているように感じる。「原発事故処理の責任の片棒を担ぐつもりはないよ」という言葉には、後世に漁業を残す責任や国、東電への不信感など、さまざまな思いがにじむ。

 処理水の処分を誰が、いつ、どう判断するのか、馬目さんには分からない。それなのに、その風評は自分たち漁業者が背負う可能性がある。「言えることは、海洋や大気への放出は絶対に反対ということだけだ」

 原発事故により、県民は風評被害に苦しめられてきた。処理水の処分は、「新たな風評」の引き金となるのか。連載第2部では、処理水の処分が県内産業に及ぼすであろう影響や、議論の在り方などを探る。

 「今夏にも」広がる臆測 処分方法の決定時期

 東京電力福島第1原発のタンクに保管されている放射性物質トリチウムを含む処理水について、今処分方法の決定時期が取り沙汰されている背景には、敷地内での保管容量に限りがあり、処分の準備期間に2年程度要する―と政府側がいう物理的要因がある。ただ「スケジュールありき」で進めれば新たな風評を招きかねず、国や東電には地元市町村などへの丁寧な説明が求められる。

 第1原発で発生する汚染水は、多核種除去設備(ALPS)で浄化されて処理水となる。ALPSでは62種類の放射性物質を環境中に放出する基準値未満まで浄化できるが、水と性質が似ているトリチウムは除去するのが難しい。このため処理水としてタンクで保管されており、そのタンクは5月21日時点で1024基に上る。

 東電は敷地内の樹木を伐採するなどして土地を造成し、タンクを増設してきた。2013(平成25)年ごろからはタンクを蜂の巣状に配置するなどして効率化を図っている。例えば、1000トンタンクを設置していたエリアに、1350トンタンク(タンク面積がほぼ同じで高さが違う)を蜂の巣状に配置することでタンクの基数は約2割増え、容量を約6割増やすことができた。今年末までに約137万トン分まで増設する計画だが、東電の試算では、1日当たりの汚染水発生量を130~170トンと想定すると、早ければ22年夏にも満杯になる見込みだ。

 国や東電は、約137万トン分以上のタンク増設には限界があるとする。今後の廃炉作業で使う施設を建設する土地を確保する必要があるとの理由だ。

 1~3号機ではデブリ(溶融核燃料)や使用済み核燃料の取り出しを控え、それらを一時的に保管する施設などを敷地内に建設する必要があり「タンクを造り続ければ廃炉作業に影響が出かねない」(東電関係者)と主張する。処理水の取り扱い方法を検討してきた政府小委員会も、2月にまとめた報告書で「現行計画以上のタンク建設の余地は限定的であると言わざるを得ない」と結論付けた。

 小委の報告書で提案した「海洋放出」または「大気(水蒸気)放出」で処分を決定した場合、国は準備に2年程度かかると見込む。

 関係者によると、政府の方針決定後、原子力規制庁による認可に数カ月~半年程度かかるとみられる。認可されると、処分で使う装置の工事が始まり、試運転などを挟んで本格運転までに1年半程度かかる。2年を逆算すれば今夏が期限とされ、関係者間では今夏にも処分方法が決定されるのではとの臆測が広がる。

 安倍晋三首相は3月の福島民友新聞社などのインタビューで今夏にも方針を決めたい意向を強くにじませていたが、6月の参院予算委員会では「意思決定までに時間をかけるいとまはそれほどないが、スケジュールありきではない。丁寧に説明していきたい」と慎重な姿勢を示した。東京五輪が延期となり、新型コロナウイルス感染症の対応も重要となる中、政府がいつ、どのような結論を出すのか。世界が注視している。