【処理水の行方】積み重ね無駄にしたくない...漁業の先行きに影

 
試験操業で魚を水揚げする安達さん。処理水排出で「積み上げてきたものを無にしたくない」と訴える=相馬市・松川浦漁港

 「風評で震災後に続けてきた積み重ねが無駄になってほしくない」。55年にわたって漁を続けてきた相馬市のベテラン漁師安達利郎さん(69)は、東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含む処理水の処分問題が、本県漁業の先行きに影を落とすことにならないか懸念する。

 処理水の問題が注目されるようになった初期のころから、自ら資料を集めて勉強してきた。廃炉の関係から解決が急がれること、有識者が示す処理水が安全であるという説明にも理解を示している。「ただ、問題はそこではない」と語る。

 「重要なのは消費者がどのように受け止め、そして買ってくれるかどうかなんだ。そのための合理的な説明がない限り、安心なんてしてもらえないだろう」

 本県漁業は、東日本大震災による津波で壊滅的ともいえる打撃を受けた。復興の第一歩として、相馬沖で3魚種を対象にした限定的な「試験操業」が始まったのは、震災翌年の2012(平成24)年6月のことだ。震災前のような漁業を取り戻したい―。その一念から、安達さんも津波で失った漁具を新たに買い直し、歯を食いしばって漁を続けてきた。

 県漁連は、独自に厳格な放射性物質検査の基準を設け、水産物の安全性の確認を続けてきた。漁獲できる魚種が増えるたびに、現場の漁師も漁場や漁獲量、漁の方法などを模索した。所属する相馬双葉漁協の水揚げ高は震災前の8割減という状況だが、仲卸業者の努力で県外の新しい取引先もでき、地元の学校給食や飲食店でも取り扱いが再開するなど、明るい兆しが見えていた。

 漁師仲間では、東電が処理水を放出すれば、「処理水が流された」というイメージが先行し、再び風評を招くのではないか―という見立てが主流だ。安達さんは「しかもそれは検査の数値など関係なく、全ての魚種に負の影響として及び、着実な歩みを見せていた復興が大きく後退するかもしれない」と不安を隠さない。

 将来の漁業を担う若手に与える影響も、安達さんの悩みの種だ。同漁協では震災後9年で56人が組合員として新たに漁に出た。「再び風評が起きれば漁業の先行きを不安視して、新しく漁を始めようという人がいなくなる恐れがある」。後継者育成のために出漁機会が増えることを望むが、「苦しい状況が続き、若手が育たなければ漁業が衰退してしまう」と語る。

 安達さんは、以前のような水揚げに戻る日まで漁を続けようと、固く心に誓っている。「処理水が未来に尾を引く問題になってほしくない」。若手が懸命に漁をできる環境が守られることを強く願っている。

 沿岸漁業復興への道筋 本格操業に重い足かせ

 東京電力福島第1原発事故から9年余りたった今も「試験操業」という独自の体制で、本格操業への道筋を探る本県沿岸漁業。放射性物質のトリチウムを含む処理水の処分の仕方によっては、深刻な風評被害が新たに起きかねず、漁業関係者は「築城10年落城1日」と危機感を募らせる。

 本県沿岸で操業日数や規模を限定し、操業と販売を試験的に行う試験操業は、原発事故翌年の2012(平成24)年6月に相馬双葉漁協、13年10月にいわき市漁協で始まった。

 試験操業が始まった当初の対象魚種は、モニタリング検査で安全の確認されたミズダコなど、たった3種類。県などはモニタリング調査で、本県沖の魚介類や海水に含まれる放射性物質の状況を把握しながら、徐々に出荷制限を解除し、水揚げ対象魚種の拡大を図った。

 17年3月29日以降は出荷制限魚種を除く全てを水揚げ対象魚種とし、現在では200種類を超す。原発事故後に国が出した海産物の出荷制限対象は43魚種、44品目だったが、今年2月には全ての魚種で解除になった。

 県漁連は、国の基準値(1キロ当たりの放射性セシウム100ベクレル以下)を超える魚介類が市場に出回らないよう、より厳しい自主基準値(同50ベクレル以下)を設定。水揚げされた魚介類をその日のうちに測定している。

 試験操業の開始当初、水揚げされた魚介類は県内のみの流通だったが、安全管理対策に万全を期し、安全性を示すデータを積み上げることで出荷先が拡大。流通大手のイオンが「福島鮮魚便」と銘打った販売コーナーを設けるなど、現在は東京都や愛知県など39都道府県に「常磐もの」の県産魚介類が流通し、漁業復興への兆しも見えつつある。

 しかし、震災で甚大な被害を受けた岩手、宮城の両県と比べ、本県漁業は原発事故の影響に阻まれ、復興の遅れが目立つ。

 農林水産省が昨年まとめた18年漁業センサス(実態調査)によると、過去1年間に利益などを得るために漁業を行った世帯や事業所を指す「漁業経営体」の数は、岩手が3406(08年比64.1%)、宮城が2326(同58.0%)と震災前の6割前後に回復しているのに対し、本県は377(同50.7%)とようやく半分の水準にたどり着いた段階だ。

 遠洋漁業も含めた本県全体の水揚げ量を見れば、震災前の5割以上まで回復しているが、沿岸で行われている試験操業に絞ると状況が異なってくる。19年の試験操業の水揚げ量の確定値は3640トンで、震災前の沿岸漁業の水揚げ量2万5914トンの14.0%。水揚げ金額は20億1587万円で、震災前の21.8%にとどまる。

 そのような中、県漁連の野崎哲会長が今年2月、報道陣の取材に「可能か不可能かは別にして」としつつ、本年度中の本格操業の実施を目指す考えを示した。しかし、処理水の行き先が不透明なことなどから、漁業者間には慎重な意見もあり、本格操業へ難しいかじ取りが続く。