【磐梯吾妻スカイライン】映画「赤い夕陽の渡り鳥」 無国籍な風景

 
砂礫に覆われた吾妻小富士の噴火口沿い。「赤い夕陽の-」撮影時と変わらぬ、どこか無国籍な風景が広がっている

 昔から物語と場所とは、特別な関係を持っていた。多くの物語は、それぞれ土地の記憶の中から生まれ、多くの詩は、未知の地へのあこがれの中で芽吹いた。そして、これからも、物語と場所は、不思議な出会いを果たし、再び新しい物語を紡いでいくかもしれない。そんな数奇な出会いを求めて、県内の小旅行に出掛ける。手掛かりは詩や散文ばかりではない。身近にある歌や、あの日見た映画の記憶の断片でもいい。

 あこがれの地

 富岡町の渡辺光夫さん(71)は団塊の世代だ。小学生だった昭和30年代前半、富岡駅前に映画館が1軒あり、夕方になると拡声機で流行歌を流していたことを覚えている。自然とスクリーンのスターたちにあこがれた。

 同時に映画の舞台も、渡辺さんのあこがれをかき立てた。

 「当時は砂利道と汽車の時代。ちょっと出掛けるにも一日がかりで、同じ県内でも、どこに何があるのか知らない。だから映画を見て『県内にも、こんな場所があるんだ。いつかは車で行きたい』と思っていた」

 地元で商工会長を務めた時は映画などのロケ支援にも取り組んだ。そんな渡辺さんが、実際に足を運んだ、あこがれの地が磐梯吾妻スカイラインだった。

 「スカイライン」は、福島市西部の高湯温泉―土湯峠間、吾妻連峰東側を走る延長28.7キロの山岳道路。1959(昭和34)年に全線開通し、その翌年7月、つまり今からちょうど60年前に公開された小林旭さん主演のアクション映画「赤い夕陽の渡り鳥」(日活、斎藤武市監督)で主要な舞台になった。

 さて、DVDを探し「赤い夕陽の―」を見る。と、驚いた。

 ストーリーは、馬に乗った風来坊が悪人たちをやっつけ、ヒロインの牧場を救う―という和製西部劇だが、映像がすごい。

 上空から撮影した噴火口の威容、一面砂礫(されき)に覆われた荒野。スカイラインも未舗装の砂利道で、西部劇さながらのワイルドさを醸し出す。半面、牧場やリゾートホテルを彩る緑がまぶしい。上映時間80分の大半をロケのカラー映像が占め、特に自然の描写がダイナミックで鮮やかだ。映画館のスクリーンで見た人々の感動は、相当だったろう。

 スター追って

 この撮影の様子を知る人はいないかと思いつつ、とりあえず現場へ向かった。福島駅から西へ16キロ。高湯温泉に近い、スカイラインの北側起点を目指す。しかし、たどり着いた時、スカイラインは通行止め。このまま帰るのもしゃくなので、高湯温泉の安達屋旅館で何か知りませんか―と聞くと、あっさり「尋ね人」に行き着いた。

 「小林旭さん、浅丘ルリ子さん...皆さん10日ほど泊まったと思います。小林さんはかわいくて、おとなしい感じ。浅丘さんはお人形みたい。白木マリさんと宍戸錠さんは気さくでね」

 菅野京子さん(85)=福島市=は、当時の安達屋旅館主人の次女で、家業を手伝っていた。その旅館に、俳優陣を含む日活のロケ隊約50人がやって来たのが60年6月上旬。彼らは、安達屋を宿泊拠点に、スカイラインをはじめ、飯坂温泉や福島駅前、裏磐梯や石筵牧場(郡山市)など各地でロケを続けたという。

 「小林さんが一人、ロケのあった中ノ沢(猪苗代町)からジープ型の車を運転して、スカイラインを通ってやって来たのを覚えてます。途中多くのファンがいて。すごい人気でした」。映画の効果もありスカイラインの通じる吾妻連峰周辺は、従来の登山者に加え、団体客が観光バスで押し寄せたと菅野さん。「当時、皆で言ったのが『ほこり高きスカイライン』。砂利道でほこりがすごく立ったからなんですが、やはり古き良き時代でした」

 その「良き時代」の舞台を、スカイラインの通行止め解除を待って訪れた。コロナ禍もあって車は少ないが、浄土平に着くと、ハイカーの姿がちらほら。あいさつを交わしながら吾妻小富士を登り、砂礫を踏みしめ噴火口の周りを巡った。すると「ああ、この景色が撮りたかったのか」と思わず言葉が出た。

 火山性ガスのためか、草一本ない足元、眼下に見える凝灰岩むき出しの崖、その崖をつたうスカイライン。すべてが現実離れした、あるいは西部劇にだけ出てくる荒涼とした風景が広がる。多分ロケ隊も60年前、同じものを見たのだろう。巣ごもりから解放されやって来た男性に声を掛けると「格別の景色です」と静かに言った。

磐梯吾妻スカイライン

 「赤い夕陽の渡り鳥」 小林旭主演のアクション映画「渡り鳥」シリーズ(番外編を含め全9作)の4作目(1960年製作・公開)。DVDマイトガイ・アキラ・コレクション(日活)の解説では、舞台は会津磐梯山。温泉の元湯の権利を狙う悪者たちと住民との争いなど、ヒロイン(浅丘ルリ子)たちが抱える問題を解決するため流れ者の主人公滝伸次(小林)が活躍する。
 日本が観光ブームに沸いた60年前後、59年11月5日全線開通の磐梯吾妻スカイラインも、県内観光の起爆剤として期待され、同作の撮影も県の誘致があったといわれる。当時の福島民友などによるとロケ隊は60年6月3~13日、高湯温泉を拠点に県内各地で撮影を行った。スカイラインでのロケは、裏磐梯ロケ終了後の同7日朝から乙女沢やつばくろ谷で始まり、多くの見物人が見守る中、崖から落ちた主人公を宍戸錠ふんする悪役が救う場面などが撮影された。ロケ開始前日の同2日には、福島市の福島日活劇場で主要キャストが舞台あいさつ。県内では7月13日封切られた。(敬称略)

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 スカイライン 当初有料道路だったが2013年に無料化。有料駐車場のある浄土平から1600~2000メートル級の吾妻連峰の登山や散策が楽しめる。噴火警戒レベルの変化で通行が規制されるため確認が必要。

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 高湯温泉 白い硫黄泉が特徴。400年以上前から湯治場として栄え、斎藤茂吉ら文人墨客にも愛された。旅館・ホテル7軒とユースホステル1軒、共同浴場がある。