【エデンの東北(下)】クリスタルロード 宝物になった記憶を紡ぐ

「よく知る場所や人、お店が漫画になるのは不思議な気持ちがするけど楽しいですよ」
石川町のメイン通り「クリスタルロード」で婦人服店のファッションハウスほしを営む星幸志(こうじ)さん(57)は、こう話す。
根底に優しさ
1970年代の東北を舞台にした漫画「エデンの東北」(竹書房)には、このクリスタルロードに並ぶ実在の店が数多く登場する。作者の漫画家深谷かほるさん(57)は同町出身。物語は小学生の長女を主人公に、幼稚園児の弟、両親の4人家族とそれを取り巻く温かい人々を描いた1本6ページの短編連作だ。
屋号が星呉服店だった当時の星さんの店も出てくる。11巻「ブラウスは薔薇(ばら)色」では、主人公から新しいブラウスをせがまれた母が星呉服店を訪れ、星さん自身も「若旦那のコージ君」として登場。12巻「お洋服」では、夏に向けてワンピースの生地を選ぶために、母と娘で同店を訪れた。
深谷さんの同級生でもある星さんは「名前が少し変えられていても『あの人のことだな』とすぐに分かるから楽しい」と話す。星さんのお気に入りは11巻「星の沖雅也」。学校前に突如現れたヒヨコを売る中年男性と主人公との交流を描いた心温まるストーリーだ。「ヒヨコ売りのおじさんは実際にいたので、読んでいて懐かしくなった。私たちが忘れかけていたこともたくさん描かれているから、なおさら貴重な作品です」
同級生の岡崎貴子さん(58)が好きなシーンは、主人公の弟が通う幼稚園での出来事。2巻「弟はキリスト」では、幼稚園のクリスマス劇で弟のあーくんがキリスト役に選ばれ、母は「主役だっぺな!!」と衣装の制作に張り切る。しかし本番を迎えると、主役どころか赤ん坊の役で...というストーリー。
モデルになった石川幼稚園はミッション系で、今は閉園になったが建物は残る。「私たちも幼稚園で生誕劇をやりました」と岡崎さん。「当時の生活も情景も全てが懐かしい。かほるちゃんの記憶力には、いつも驚かされています」
ヘアーサロンホシ店主の星亨(すすむ)さん(57)も深谷さんの同級生だが、亨さんの場合は夫妻で登場する回まである。
星理髪店のススム君に髪を切ってもらう主人公はどうしてもしゃっくりが止まらない。「びっくりすることない?」と問う主人公にススム君は「絶対秘密の話」として魚屋さんの娘いづみちゃんが好きだと打ち明ける。そこにいづみちゃんが現れ...(14巻「とこやさん」)。
実際のなれそめに深谷さんは関わっていないが、妻いづみさん(56)の実家が魚屋さんだったのは本当の話。亨さんは「読んだ人から電話がかかってくることもあります。何度も出してもらってうれしいですよ」と笑う。深谷作品は「必ずどこかで優しさについて描かれているからいい」と語った。
「根底に優しさや義理人情があるから、私たちの世代には懐かしく感じるし、若い人たちにこそもっと読んでほしい。今の日本人がなくしかけていることを描いていると思うから」
30年以上連載
連載は30年以上続いており、現在20巻まで刊行中だ。深谷さんは「苦しんだことよりも描かせていただけてラッキーだったありがたさのほうがはるかに大きい」としながらも、「30年余り続ける中で頑張っても面白い作品が描けない時期もありました」と明かす。
二つの雑誌で連載していたが、最初の1誌は打ち切りになった。当時の担当編集者は入社面接で「『エデンの東北』を担当したい」と言ったほどの熱い人だった。「一生懸命働いてくれましたが、その方が泣きながらクビを通告する電話をくれたとき、心底申し訳なかったことは忘れられません」
しかし、苦しいスランプも数年で脱出することができた。その後は「また楽しんで描けるようになった」という。
2018(平成30)年にはクリスタルロードの荒町商店会長に幸志さん、南町商店会長に亨さんが就き、街路灯の歓迎タペストリーを一新するためデザインを深谷さんに依頼した。新しいタペストリーには「エデンの東北」で主人公一家が飼う謎の動物「しんご」が描かれ、設置をすると深谷ファンが県外からも訪れるようになった。
「ごく当たり前のことが作品には描かれているけど、子ども時代を一緒に過ごした私たちが読んでいると、当時の感動が何倍にもなってよみがえってくるのですよ」。商店街にたなびくタペストリーを見つめながら幸志さんは静かにそう語った。
クリスタルロード 石川町の中心にあり、夏まつりや御神輿(みこし)パレードが行われるメイン通り。店が連なる商店街は、荒町商店会と南町商店会に分かれている。商店の合間にある重厚な門は、大庄屋で自由民権運動の中心人物の一人、鈴木荘右衛門と養子重謙を輩出した鈴木家の屋敷跡。歴史と風情があふれた街並みになっている。
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深谷かほるさん 1962年、石川町生まれ。石川小・中、安積女高、武蔵野美大卒。代表作の「カンナさーん!」「ハガネの女」はテレビドラマ化もされた。2017年、ツイッターから生まれた8コマ漫画「夜廻(よまわ)り猫」で手塚治虫文化賞(短編賞)を受賞。
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夜廻り猫 深谷かほるさんが2015年からツイッター上で掲載を始めて話題になった。「泣く子はいねが~」と涙の匂いをたどって現れる夜廻り猫こと遠藤平蔵(へいぞう)を主人公に、毎夜涙する者たちの心にそっと寄り添う一話完結型の物語。ときには地元で体験した本当の話も出てくる。現在6巻まで講談社から刊行中。
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