【唱歌・夏の思い出】檜枝岐・尾瀬 16小節の歌...楽園へといざなう

 
夏の華やかな花が姿を消し秋の気配が漂う尾瀬沼付近の湿原

 夏がくれば思い出す。そう始まる「夏の思い出」は、尾瀬の記憶を詠(うた)った唱歌である。

 遠い空、霧のなかの小径(こみち)、水芭蕉の花―。詩人江間章子さん(1913~2005年)の詩と、作曲家中田喜直さん(1923~2000年)のメロディーで紡がれた16小節の歌は、戦後から長く、人々を福島、栃木、群馬、新潟4県の境にある標高1400メートルの楽園にいざなった。

 古里と重ねる

 かくいう記者も、歌の旅情にひかれ尾瀬を訪れた一人だ。中学の授業でも歌った。入山したのは、いつもニッコウキスゲが盛りの7月下旬だった。

 今年は8月中旬、久々に尾瀬へ行った。檜枝岐村の沼山峠休憩所から息を切らし峠道を越え、大江湿原に出た。

 すると、すでに初秋の風景が待っていた。ニッコウキスゲは姿を消し、入山者もコロナ禍もあり少ない。この時期の尾瀬は、過ぎた夏の思い出に浸る場所なのかもしれない。そう思い見上げると、空はまだ真っ青な夏の色だった。

 尾瀬にも、さまざまな夏がある。江間さんがイメージしたのは、初夏の尾瀬だった。

 「夏の思い出」は1949(昭和24)年、NHKラジオで放送するオリジナル曲として作られた。江間さんは、少女時代を過ごした岩手県の岩手山の麓で初夏に見たミズバショウが咲く景色を思い描いたという。ただ、古里を詠った詞が続いたため、戦時中に食料を求め訪れた群馬県側の尾瀬に置き換えたのだという(読売新聞文化部著「唱歌・童謡ものがたり」)。

 この経緯を見ると福島県側の尾瀬が出てこない。尾瀬沼の半分も燧(ひうち)ケ岳も檜枝岐なのに、どうも影が薄い。ぼやきつつ記者は昼すぎ、来た道を引き返した。日帰りのためだ。そして下界に下り、檜枝岐川沿いにあるミニ尾瀬公園に立ち寄った。ここには「夏の思い出」の詞碑と曲碑がある。楽譜が記された曲碑のボタンを押すと「夏の思い出」の旋律が流れた。やはりグッと来る。転調が泣ける。

 詞碑の建立は1984(昭和59)年8月。当時、福島県側の尾瀬の入り口のシンボルとして、国道沿いの中土合公園に建立された。刻まれた文字は江間さん本人の揮毫(きごう)だ。同様の歌碑は、群馬県側の尾瀬の入り口、片品村にも94年建立されたが、檜枝岐の碑が最初だった。ふと、江間さんも、この村を訪れたのかな、と気になりだした。

 ミニ尾瀬公園の担当者によれば、碑文の原本は今も村内のそば屋にあるという。教えてもらった「裁ちそば まる家」の主人星哲二さん(70)に尋ねると「父が、江間さんに碑の建立をお願いした。ただ著作権の関係で苦労したらしい」。星さんの父は檜枝岐村長だった故星広一さん。村長時代、江間さんが住む東京に出掛け、建立を申し入れたのだった。

 朝を告げる曲

 いろいろあったようだが、村観光課によると、詞碑の除幕には江間さんが孫2人と来村し、広一村長と4人で除幕した。哲二さんは「(江間さんは)あまり人に会うのが好きではなかったようだが、会ってみると気が合ったのだろう」と振り返る。

 村の平野勝観光課長(52)は「檜枝岐には(大きな観光資源は)尾瀬しかない。碑を建てた広一村長も『尾瀬と生きていくんだ』という思いが強かったはずだ」と話す。

 一方、江間さんは71、72の両年、同村から尾瀬へ入山していて、檜枝岐との付き合いもあったと、当時の福島民友の記事にある。その後も、詞碑がミニ尾瀬公園の完成で現在地に移転した99年5月も、江間さんは来村した。江間さんの父は会津藩士の子弟。そんな縁も詩人と村を結び付けたのかもしれない。

 こうした人々の尾瀬への熱い思いは、今はどうなっただろう。近年は入山者が減っている。

 「夏の思い出」も、今まだ学校で歌われているのだろうか。そう、檜枝岐小・中学校の飯塚敏明校長(51)に尋ねると、明るい声が返ってきた。校長は「南会津地方では地元の歌として親しんできた。今も中学生は授業で学ぶ」と言い「中でも檜枝岐は特別。子どもたちが歌う機会は多い。毎朝6時、村の防災無線で流れる『夏の思い出』を聞き育った子どもたちには、メロディーが染みついてるのです」と目を細めた。

【唱歌・夏の思い出】檜枝岐・尾瀬

 尾瀬 福島、栃木、群馬、新潟4県にまたがる只見川源流の小規模な盆地と周縁地域の総称。盆地部分は、標高1400メートル前後の尾瀬ケ原と、尾瀬沼周辺に大別される。尾瀬ケ原は約760ヘクタールの高層湿原で、希少な動植物に富む。福島・群馬県境の尾瀬沼は、東北の最高峰、燧ケ岳(2356メートル)の噴火でせき止められできた。2007年、尾瀬国立公園に指定。

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 入山者と自然保護 尾瀬は唱歌「夏の思い出」で知名度が高まり、1960年代には入山者の急増で環境悪化が問題化した。しかし70年には環境保全活動が活発化、尾瀬は日本の自然保護運動の象徴として注目された。年間入山者は96年、64万人を超えたが、その後減少が続き2016年以降20万人台で推移している。

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 アクセス 檜枝岐村から尾瀬に入る沼山峠登山口は、沼山峠休憩所から尾瀬沼方面に至るルートで、休憩所―尾瀬沼間は約3.5キロ、徒歩約70分。村側から沼山峠休憩所までは行楽シーズンの間、交通規制され尾瀬御池からシャトルバス(約15分)が運行する。檜枝岐村へは、会津鉄道・会津高原尾瀬口駅からバスで1時間20分。問い合わせは尾瀬檜枝岐温泉観光協会(電)0241・75・2432