【高村光太郎の詩集】智恵子抄 心にずっと...古里の『ほんとの空』

 
青空とその下にそびえる安達太良山を望む行楽客=二本松城(霞ケ城)天守台から

 「これがほんとの空だよ」

 こんなテレビCMが2007(平成19)年1~3月に放映されたのを覚えているだろうか。

 女優の宮崎あおいさんが出演したNTTドコモ東北の人気シリーズの第3弾。水面がきらめく阿武隈川の悠久の流れと、青空に稜線(りょうせん)が映える安達太良山の遠景を一緒に望める二本松市の智恵子大橋で、携帯電話を手にする愛らしい姿が記憶に残る。

 「ほんとの空」。今では本県の豊かな自然を表す言葉だが、本来は安達太良山上空に広がる青空を指す。同市出身の洋画家高村智恵子の死後、夫で詩人、彫刻家の高村光太郎が著した詩集「智恵子抄」に収録された「あどけない話」に由来する。東京での暮らしに疲れた智恵子が古里への思いを吐露した時に言った。

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空がみたいといふ。
 (中略)
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。

 古里に深い愛

 智恵子抄は、光太郎が亡き妻への鎮魂の思いを込め1941(昭和16)年出版した。智恵子との純愛が詩と散文でつづられ、この中で光太郎は、彼女が一年のうち3、4カ月は郷里に帰っていたことを述懐し、病気をしても実家に帰省することで平癒したと書いている。その彼女が東京と古里の違いを表現したのが青い空。あどけない話からは、智恵子が古里を深く愛していたことが感じ取れる。

 光太郎はほんとの空をどんな思いで見たのだろうか。

 同じ智恵子抄の詩「樹下の二人」には「みちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆ」の歌が添えられており、詩の舞台がどこかという論争もあった。しかし研究が進み旧油井村(二本松市油井)の智恵子の生家に近い鞍石山に落ち着いた。

 光太郎と智恵子は1919(大正8)年、彼女の父長沼今朝吉の一周忌法要に参列するため、彼女の生家から山向かいの長沼家菩提寺(ぼだいじ)「満福寺」まで、鞍石山の山道を歩いている。

 智恵子の顕彰活動を展開するレモン会長の渡辺秀雄さん(88)=二本松市=は、寺の近くに住む知人が祖母から聞いたという話を紹介してくれた。「棒を持った大柄な人(男性)がいて驚いた。しゃがんでいたので気付かなかったが、洋服を着た女の人がすっと立ち上がったからまたびっくりした」と。それがその時の光太郎と智恵子だった。

 赤子のように

 鞍石山には智恵子の杜(もり)公園が整備され、二人が歩いた道程のうち生家から山頂までが「愛の小径(こみち)」と命名された。光太郎の気持ちを感じてみようと、その道を妻と一緒に歩いてみた。

 公園入り口の急な石段を上ると、稲荷八幡神社に出る。境内には智恵子が「熊野大神」と揮毫(きごう)した石碑がある。境内奥の道に進むと、木立が優しく包んでくれた。木々の息吹を感じながら歩く緩やかな坂道は、優しい気持ちになる。少し疲れた様子の妻に歩調を合わせた。二人で雑談を交わしながら歩いたはずの光太郎も、病気がちの智恵子を気遣い、ゆっくりと歩を進めたに違いないと想像できた。

 鞍石山の頂上に、光太郎の直筆を刻んだ「樹下の二人」詩碑がある。木々の青葉の向こうに遠く安達太良山が望める。振り返ると阿武隈川もわずかに眺めることができた。

 あれが阿多多羅山、
 あの光るのが阿武隈川。
 (中略)
 ここはあなたの生れたふるさと、
 この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。

 思い詰めると他の一切を放棄しても悔やまない性格で、自分への愛と信頼の深さが乳飲み子のよう。これが光太郎の智恵子像。その異常なまでの純真さにひかれた。この実感が樹下の二人の詩を生んだ。

 造り酒屋に生まれ、何不自由ない生活を送った智恵子が、光太郎と結婚し明日の食べ物にも困る苦しい生活を強いられた。光太郎の創作に邪魔にならないよう、自分の芸術活動を削り家事に尽くした。誰もが清純で純愛に生きた女性だと理解する。

 でも渡辺さんは「智恵子は恋の駆け引きができた人」と話す。渡辺さんによると、光太郎が千葉県の犬吠埼に写生に出掛けた時、智恵子は妹らと3人で追い掛け、滞在先を突き止めると、妹たちに「帰っていいよ」と言った。渡辺さんは「妹をだしに使った」と考えていて「光太郎の気持ちをつなぐ作戦だった」と指摘する。智恵子の意外な一面に驚かされた。

 智恵子は亡くなる数時間前、光太郎が持参したレモンを喜んで食べた。だから10月5日は「レモン忌」。きょうは82回目の智恵子の命日だ。智恵子抄を開いてゆかりの地を探してみるのもいい。

【高村光太郎の詩集】智恵子抄

 【アクセス】智恵子の生家・智恵子記念館と、智恵子と光太郎が歩いた「愛の小径」がある智恵子の杜公園へは、車の場合、東北道二本松インターチェンジから国道4号を経由して約10分。鉄道、バスの場合は、JR二本松駅から八軒まで約10分。

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 【高村智恵子】1886~1938年。明治時代末期から大正時代にかけての、当時としては珍しい女流洋画家で、1911(明治44)年創刊の平塚らいてうらによる婦人運動の雑誌「青鞜(せいとう)」の表紙絵を描いたことでも知られる。彫刻家で詩人の高村光太郎(1883~1956年)と結婚後も油絵などの創作活動を続けた。病に侵されてからは病院で千数百点に上る紙絵を制作、智恵子の名を広く知らしめた。

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 【智恵子の生家、智恵子記念館】油井村漆原(現・二本松市油井)の造り酒屋で生まれた智恵子。生家は、屋号が「米屋」で、清酒「花霞」を醸造した。生家は智恵子の父の死後、事業の不振などで廃業したが、明治初期に建てられた当時の面影をそのままよみがえらせ、一般公開している。10日~11月23日の毎週土、日曜と祝日は智恵子の部屋がある2階が特別公開される。生家の裏庭には今、酒蔵をイメージした智恵子記念館がある。奇跡といわれる智恵子の美しい紙絵や当時の女性としては珍しい油絵などを展示する。8日~11月24日には「青い魚と花」など紙絵の実物が公開される。