【若山牧水】歌集『朝の歌』所載「残雪行」 今も鮮やかに春の息吹

 
満開の桜と雪柳に彩られた阿武隈川の河畔「隈畔」。現在、桃の花は見当たらない

 桜や桃などが記録的な速さで開花し満開を迎えた福島盆地。そんな春を味わおうと阿武隈川沿いを歩くと、自然とある歌を思い出した。

〈つばくらめちちと飛び交ひ阿武隈の岸の桃の花いま盛りなり〉

 旅の歌人といわれる若山牧水(1885~1928年)が1916(大正5)年4月下旬、福島市逗留(とうりゅう)の折、旗亭(料理屋、宿屋の意味)で詠んだ歌だ。

 場所は、宿の多かった現在の市街地のようだが、現在、県庁東側の阿武隈河畔、いわゆる「隈畔(わいはん)」はソメイヨシノが多く、桃の花はピンと来ない。ただ、ツバメたちが鳴き交わす臨場感は今も歌のままだ。105年前、牧水が桜を詠まなかった県北の春の面影を探し、歌人の足跡をたどった。

 牧水は16年3~4月、初めて東北を旅した。その際、即興で詠んだ52首が「残雪行」として牧水9冊目の歌集「朝の歌」(同年)に収められた。

 旅の実感詠む

 「残雪行」の歌に付けられた添え書きと、牧水の書簡から分かる旅のルートを大まかに記すと、東京(3月14日)―仙台駅(同15日朝)―盛岡市―青森市(同23~29日)―五所川原―南津軽板留温泉(4月14~16日)―秋田市―福島市(日付は明確な部分だけを記した)。別の紀行文では「秋田に1日、福島に4日」滞在したと記されている。いずれにしろ福島市は、牧水が旅を締めくくった場所だった。

 さて、牧水の福島旅行の起点へ向かう。

 「残雪行」には、福島で詠まれた歌が13首ある。その時系列順に並んだ歌の1首目が〈花ぐもり晝(ひる)は闌(た)けたれ道芝(みちしば)につゆの残りて飯坂とほし(天気は花曇り。昼すぎなのに草の露は乾ききらない。そんな道を進むが、目指す飯坂は遠い)〉。この歌には「岩代瀬上町より飯坂温泉へ」の添え書きがあり、牧水は信夫郡瀬上町、現在の福島市瀬上町から、飯坂(同市飯坂町)まで歩いたことが分かる。

 ともかく記者は、歌人の足跡をたどり、現在の大東銀行瀬上支店前から西を目指す。ルートは県道飯坂瀬ノ上線。延長約5キロのこの県道は、瀬上と飯坂南部とを結ぶ昔からの街道を基に整備された。松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅でたどった道も、この街道と考えられている。

 その、今は舗装された、いにしえの道を進むと、住宅街が途切れ、平たんな農村の風景が広がり出した。そして、牧水の歌の誠実さを思い知った。

 詩編は「花ぐもり」の歌の後こう続く。〈たわたわに落(おつ)る春田(はるた)のあまり水道邊(みずみちべ)に續(つづ)き飯坂とほし/行き行けば菜の花ばたけ蝶蝶(てふてふ)の數(かず)もまさりて飯坂とほし/友ふたりたけぞ高けれだんまりの杖(つえ)をうちふり飯坂とほし/菜ばたけのすゑの低山(ひくやま)やますそにそれとは見ゆれ飯坂とほし〉

 4首を費やし沿道の春景色などをスケッチしながら、ひたすら「飯坂とほし」と繰り返す。この心境、歩いてみると分かる。道は今も農地の中をひたすら真っすぐ延び、少し進んでも風景全体に大きな変化はない。約5キロだが、1カ月以上旅を続けてきた牧水にしてみれば、行けども行けども見えてこない飯坂の街は、はるか遠くに感じたのは無理もないだろう。

 牧水の故郷、宮崎県日向市にある若山牧水記念文学館の荒砂正伸さん(44)は「牧水は旅を重ね、その土地での実感を歌心として表現した歌人。東北旅行でも、津軽での雪の中の移動をとつとつとうたっている。自然と一体化する境地を目指し、晩年になるほど作品から自分が消えていった。だから(唱歌などで)誰がうたっても共感できる。これは、自我を主張する近代短歌とは全く逆」と言い「残雪行」が即興歌でまとめられたことにも「整った歌より、即興の雑味がライブ感を出している」と話す。

 影を潜めた桜

 なるほど、牧水の歌はうそ偽りなく詠まれた。だから、足取りをたどると共感を覚えるのだ。すると、この旅で牧水は桜をあまり目にしなかったことになる。

 先の「つばくらめ」の歌も、瀬上―飯坂間の4首にも、春のシンボル桜は登場しない。牧水が飯坂で詠んだ「飯坂温泉雑詠」4首では、津軽で田打ち桜(田の準備を始める頃咲く花の意)と呼ばれるコブシの花の、花雪のような美しさがたたえられ、「桜」は次の歌〈夕かけて雲は山邊(やまべ)に流れ来(き)ぬ櫻(さくら)はいまだ散るといはなくに〉で、盛りではないことが記されるばかりだ。

 そして、「残雪行」は「つばくらめ」の歌と〈夕日さし阿武隈河のかはなみのさやかに立ちて花散り流る〉との2首からなる「福島市某旗亭即興」で結ばれる。歌の通り解釈すると、福島市街地の阿武隈河畔では、桃が満開で、川面には散った桜の花びらが流れている。確かに桃は、開花も満開も桜より少し遅い。牧水は飯坂温泉での時を楽しむうち、日当たりのいい阿武隈河畔の桜の盛りを逃してしまったということだろうか。

 本当のところは分からない。ただ「つばくらめ」の歌に込められた春の息吹は今も新鮮だ。春のシンボル桜をクローズアップすることなく春を詠んだ牧水のすごみを今さらながら感じる。

 若山牧水 牧水は1885(明治18)年、宮崎県東郷村(現日向市)に医師の長男に生まれ、早稲田の学生時代から本格的な創作を始めた。若山牧水記念文学館によると、43歳で没するまで旅した日数は約1700日。人生の9分の1を旅に費やした。

【若山牧水】歌集『朝の歌』所載「残雪行」

 【アクセス】福島市瀬上町の旧市街地へは、JR東北線東福島駅(同福島駅から約5分)下車、または阿武隈急行瀬上駅(同福島駅から約10分)下車。飯坂温泉へは、福島交通飯坂線で飯坂温泉駅下車(福島駅から約25分)。車の場合は、東北道福島飯坂インターチェンジから瀬上町まで約10分、飯坂温泉まで約10分。

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 【「阿武隈の歌」】若山牧水の「つばくらめ」の歌は、牧水の来福50年に当たる1966(昭和41)年、有志の手で阿武隈河畔にある福島市・板倉神社に歌碑が建立された。これを記念し、歌に同市出身の作曲家古関裕而が作曲したのが「阿武隈の歌」。除幕式では古関が指揮し、独唱が披露された。70年には楽譜を刻んだ曲碑も、歌碑と一体的に設置された。福島市民会館にも同じ歌の碑が、福島ライオンズクラブによって建てられた。

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 【桜と桃】気象庁によると今年、福島市での桜の開花は3月25日(平年より15日早い)、満開は同29日(平年より15日早い)。いずれも観測史上最速。また同市飯坂町の県果樹試験場では、桃(あかつき)の開花が3月30日(平年より14日早い)、満開が4月4日(平年より15日早い)だった。牧水が来福した1916年の桜は、大阪府立大の調査では、京都市で4月21日満開となり、これはその前後3年に比べ7~9日遅く、春の訪れが遅かったことが分かる。現在の桜の平均満開日は、福島市が4月13日、京都市が同5日。この差が105年前も同じとすれば、16年の福島市の桜の満開は4月29日ごろと推測される。