【映画・男はつらいよ 柴又より愛をこめて】故郷へ愛こめた贈り物

 
柳津発電所近くの左岸から望む只見川。36年前、ロケ隊もこの風景を目にしただろう=柳津町

 「男はつらいよ」は、多くの日本人が知る、戦後日本を代表する映画シリーズだ。気楽に見られる喜劇映画だが、時代の空気が詰まった、どこか特別な作品になった。

 そんな名作と真っ向勝負とはいかないまでも、魅力のかけらのようなものがないだろうかと、会津へ短い旅に出た。

 名作を支えた

 同シリーズは、特別編を含め50作あり、主人公の寅次郎が旅先から故郷の柴又(東京都葛飾区)へ戻り、再び旅に出て恋をするというパターンが繰り返される。しかし舞台は毎回変わり、観客は旅行気分を満喫できるのだが、県内をロケ隊が訪れたのは一度きりのようだ。

 1985(昭和60)年12月公開の第36作「男はつらいよ 柴又より愛をこめて」の冒頭、寅さんは日本人初の宇宙飛行士になっていた。しかし、ロケット発射を前に「おれは乗り物に弱いんだ。矢切の渡し舟でも酔った」。寅次郎ピンチ! と、ここで目が覚める。気付くと小さな駅舎のベンチ。周りには高校生たち。正月映画に合わせ「寅さんの初夢」という趣向だが、その舞台がJR只見線会津高田駅(会津美里町)だった。

 長年、映画を題材にしたまちおこしを呼び掛けている同町の白井祥隆さん(70)は「駅舎は建て替えられ残念」と言いながら、当時を知る人たちを紹介してくれた。駅の近くで食堂を営む小林幸栄さん(62)は「当時はスタッフが利用してくれた。東京のライターも、昔からロケ地巡りに合わせ立ち寄ってくれる。最近も雑誌で店が紹介された」と、「男はつらいよ」ファンの熱さを語る。店の人気メニューも「寅さん支那そば」600円である。

 さて、いったん会津美里を離れ北へ行く。会津盆地のど真ん中、湯川村にファンの聖地がある。同村商工会運営の「湯川たから館」。ここが「男はつらいよ」の48作品で撮影監督を務めた故高羽哲夫さんに関する多彩な資料が展示されている。

 高羽さんは笈川村(現湯川村)生まれ。69歳で亡くなるまで半世紀近く映画を撮り続けた。多くが山田洋次監督とコンビを組んだ作品で、遺作は「男はつらいよ」第48作「寅次郎紅の花」。寅さんが訪れた海や山や街、出会った人々をフィルムに収めたのが高羽さんだった。

 「男はつらいよ」といえば監督・山田洋次、主演・渥美清だが、高羽さんなしに「寅さん」はなかった。これは、たから館に展示されていた山田監督の追悼文が明らかにしていた。

 「この人を仕事の伴侶に得たぼくは、はかりしれぬ果報者だった。ぼくが彼を独占していなければ、彼はもっともっと優れた仕事を残したかもしれない。高潔、という今は死語になりつつある言葉にふさわしい生涯を生きた人だった(抜粋)」

 ただ、高羽さんが故郷を撮った映像は少ない。「柴又より愛をこめて」でも、冒頭の駅舎と、主題歌をバックに映る只見線の鉄橋、それに柳津町の土産物屋が並ぶ風景くらいなのだ。

 それでも寅さんと同じ風景の中を歩くと気分が高揚した。柳津町の福満虚空蔵菩薩円蔵寺に続く参道。単なるタイトルバックのシーンだが、実は沿道の様子が丁寧に描かれていたと分かる。一方、現在の風景も、橋の色が変わり、アーチ形の看板がなくなってはいたが、名物の桐(きり)げたや粟(あわ)まんじゅうを売る店々が並ぶ門前町の風情は健在だ。柳津観光協会の金坂富巳子さんは「聖地巡礼に来るファンは本当に多い。昔から続く信仰の地として、また来たくなる素朴なもてなしで迎えたい」と話す。

 寅さん突然に

 さて、戻った会津美里町で、元映画館新富座の交流拠点化に取り組んでいる斎藤成徳さん(71)に会う。すると「柳津なら主題歌のバックに出てくるお宅で面白い話を聞いた」という。ええっ!? それは知らない。

 再び柳津町である。柳津発電所の近くで、ようやく映画に出てきた家を見つけた。「11月ごろ、あす撮影すると言われ、翌日、朝食を食べていると多くの人が家にやってきた」と、当時28歳だった同家の白井クニ子さんは言い「寅さんが舟で只見川を下る様子を撮影する予定が、舟が1隻しかなくて...。カメラを載せる舟が、もう1隻必要だったのね。それで急きょ、うちの前の坂道を下っていくシーンを撮ることになったの」と秘話を披露してくれた。なるほど「船でも酔う」と言う夢のシーンは、船下りの伏線だったのだ。

 「で、うちのばあちゃんが家の外に立っていたら、監督が『そこをどいて』って手を振るの。でも、ばあちゃんは耳も目も悪くて」。しかたなく、そのまま撮影開始。すると寅さんが声を掛け、振り向いたばあちゃんがあいさつした―。そう、確かにあった。味な場面だ。それがアドリブだったとは...。高羽さんの故郷への贈り物かもしれない。(一部敬称略)

映画・男はつらいよ 柴又より愛をこめて

 【アクセス】車で柳津町の福満虚空蔵菩薩円蔵寺へは磐越道会津坂下インターチェンジ(IC)から約10分。湯川村の湯川たから館へは同ICから約20分、会津若松ICから約15分。

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 【男はつらいよ】渥美清演じるテキ屋「フーテンの寅」こと車寅次郎が主人公の人情喜劇映画シリーズ。松竹の製作・配給。同名のテレビシリーズを経て、1969年に第1作「男はつらいよ」が公開され、以後、松竹の人気シリーズとして95年の第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」まで年1、2作のペースで上映された。96年、渥美の死去で製作終了となったが、97年には旧作を再編集した「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別編」、2019年には旧作の名場面を加えた「男はつらいよ お帰り 寅さん」が公開された。テレビ版と第3、4作を除き山田洋次さんが監督した。

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 【高羽哲夫(たかは・てつお)】1926(大正15)年、笈川村(現湯川村)生まれ。旧制会津中、山形大工学部を経て48年、松竹大船撮影所撮影部に入社。64年、映画「馬鹿まるだし」(山田洋次監督)で撮影監督としてデビュー。死去する95年まで78作品(うち短編2作品)で撮影監督を務め、うち68作品で山田監督とコンビを組んだ。「男はつらいよ」シリーズは、第1作から第48作「男はつらいよ 寅次郎紅の花」までを手掛けた。91年、映画「息子」(山田洋次監督)で日本映画技術賞、毎日映画コンクール撮影賞、日本アカデミー賞優秀撮影賞。92年、紫綬褒章。93年、映画「学校」(同)で日本映画技術賞、日本アカデミー賞優秀撮影賞など受賞多数。