1986年、大学3年時に迎えた3度目の箱根駅伝。当時は出場選手に年齢制限が設けられており、27歳だった私にとってこれが最後の箱根路だった。前回大会まで2桁順位が続いていたが、当時のチームはレベルが上がっており、シード権(当時は上位9校)を狙える力は十分にあるとみていた。 私は2年連続でエース区間の2区を任せられた。前回大会で不本意な走りをし、今回こそは何としても区間賞を取ると決意していた。6位で...
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