駒大卒業後、ヤクルトに入社して実業団で現役を続けた。そして人生の岐路に立つ。 川崎市職員として競技を続けることもできたが、ヤクルトから誘われて再び実業団ランナーとなった。当時のヤクルトは成績が低迷し、チームのけん引役と期待されていた。ちなみにこの時の監督は本県出身の故・安田亘さん(大東大で箱根駅伝出場)だった。 駒大時代からマラソンに挑戦しており、引き続きマラソン中心に取り組んだ。だが、選手とし...
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