私が作業療法士として働きたいと考えたのは19歳の頃。強い使命感を持って作業療法士を目指す人には申し訳ないのだが、私の場合は非常に現実的な理由だった。 新潟県で生まれた私は高校卒業後、新聞配達やとび職などで生計を立てていた。そんな折、ほとんど女手一つで私と兄を育ててくれた母が、くも膜下出血で倒れ意識の戻らない状態に。ヘルパーをお願いするお金もないので、母が入院する新潟中央病院(新潟市)で、私と兄の...
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