東日本大震災は、多くの人たちと同じように、私にとっても転換点だった。山塩の役割について考え直すきっかけとなったからだ。 2011年3月11日。あの日も普段と変わらず、北塩原村の工場で従業員5人ほどと作業していた。午後2時46分、これまでに経験したことがない大きな揺れを感じた。ただ、すぐに逃げなくてはいけないと危機感を抱くほどの揺れではなかったため、作業を続けた。 程なくして何げなくテレビをつける...
この記事は会員専用記事です
残り576文字(全文776文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。