東日本大震災が発生した2011年。私はポーランドにいた。現地の大学で日本語教師として働き、日本語や日本の歴史文化を教えたり、美術展覧会の運営に携わっていたりと充実した日々を送っていた。 現地時間3月12日午前6時ごろ。全ては1本の電話から始まった。「どこにいるんだ、今すぐテレビをつけろ」。気の張った声の主は現地のテレビ局で働く知人だ。言われるがままテレビをつけると、津波の映像が流れてきて目を疑っ...
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