大ヒット曲「潮来笠(いたこがさ)」や「いつでも夢を」で知られ、アイドル的な人気を博した「御三家」の一人で、昭和歌謡界を代表した歌手の橋幸夫(はし・ゆきお、本名幸男=ゆきお)さんが4日午後11時48分、肺炎のため東京都の病院で死去した。82歳。東京都出身。葬儀・告別式は10日正午から東京都文京区小石川3の14の6、伝通院で。喪主は妻真由美(まゆみ)さん。葬儀委員長は橋さんが所属する夢グループの石田重廣社長=福島市出身=が務める。
「話しかけることで回復してくれたら、と思っていた」
橋さんが所属する夢グループの石田社長の元には、4日午後11時過ぎに橋さんの容体悪化の連絡が入った。
石田社長によると、6月の入院以来、たびたび病院に見舞いに訪れ、ベッドの橋さんに声をかけていたという。「僕が行くと目を開けてくれたり、話しかけると口を動かしたりしてくれた。話しかけることで回復し、言葉を取り戻してくれたら、と思っていた。4日も病院で夕方から午後7時ごろまで見舞い、容体が安定していたので帰宅したところだった」と話す。
橋さんが言葉を発することはほとんどなかったが「7月1日の僕の誕生日にお見舞いに行ったら、奥さんに促されて『社長、おめでとう』と言ってくれた。それが最後の言葉になった」と振り返る。
夢グループ所属となって以降も、コンサートの舞台でたくさんの観客を楽しませてきた橋さん。2022年には、大熊町の「リンクる大熊」で開かれた復興応援コンサートにも出演した。
石田社長は「橋さんとは10年以上のつきあい。認知症を公表してからは、コンサートで多くのお客さまから、ものすごい声援をいただき、橋さんは『頑張りがいがある』と励みにしていた。もう少し僕と一緒に闘って、手本を見せてほしかった。橋さんご苦労さん、とは言いたくない。悔しいです」と昭和の大スターとの別れを惜しんだ。