【デパートの思い出・上】 胸ときめく...屋上遊園地やアイドル来演

 
大町に店舗があった頃の中合。屋上にはミサイルタワーや観覧車が確認できる(福島市提供)

 何でもそろうデパートは、いつの時代も行くだけで胸がときめく特別な場所。そんなデパートの思い出を聞いた。

 「小学校入学は赤いランドセル、社会人になるタイミングで腕時計を、今はなき福島市の中合で買ってもらいました! 人生の節目の大切な買い物の思い出です」(自転車ぱんださん)。福島駅前のシンボルだった中合福島店は、140年以上にわたり地域の人たちに親しまれ、2020年に惜しまれつつ閉店した。

 ほかにも「中合デパートは高級感があり、エレベーターガールが憧れでした。屋上遊園地も子どもの頃よく行きました」(福島市・おひさまさん)、「50年以上前、福島駅から東に約800メートルの大町に中合がありました。大きなペンシルみたいなミサイルタワーに『中合』の赤文字。屋上には遊園地がありました」(ゆうすけさん)など、昔を懐かしむ声が寄せられた。

 中合の前身は呉服店

 中合は1874(明治7)年に同市荒町で呉服店として開業、その後大町での営業を経て駅前に移転した。エレベーターは大町時代の1957(昭和32)年に「県下の商店では初めて」(福島民友10月2日付夕刊)設置された。

 60年には新装開店に合わせて屋上遊園地が開設された。当時の紙面では「青空に響くカン声 中合に子供の天国」の見出しとともに「澄み渡った空を切って観覧車がまわり、空中電車が風を切り、ひっきりなしに子どもたちの歓声が上がる」(福島民友10月2日付)とにぎわいを紹介している。

23102life701-2.jpg※写真=中合の駅前移転オープンを伝える紙面。大勢の人が詰めかけた様子やテープカットが行われたことを紹介している(福島民友1973年10月1日付夕刊)

 ネオンともるミサイルタワー

 翌年には、投稿にもあったミサイルタワーが完成する。当時(61年1月6日)の記事によると、タワーは高さ20メートル(地上からの高さは50メートル)で、市内の建物で当時最も高く、直径は約6メートル。らせん階段で内部に上ると展望台があった。夜には赤や黄色のネオンがともったという。

 その後、73年に福島駅前に移転する。当時の様子を「開店前から約一万人がどっとつめかけ長だの列。テープカットに引き続いて打ち上げ花火、カラフルな風船、ハトが秋空に舞い、人、人、人の波でにぎやかなオープン」(福島民友10月1日付夕刊)と報じており、活気にあふれた様子が目に浮かぶ。

 コルニエツタヤに「明菜ちゃん来た」

 さらに、中合のすぐ近くでは、こんな思い出が。

 「41年前にコルニエツタヤに新人でデビューしたての中森明菜ちゃんが来たんですよ」(福島市・あべちゃんさん)、「昔ラジオ福島で『エンドーチェーンカラオケ歌合戦』という番組がありました!」(だびょんさん)

 コルニエツタヤとエンドーチェーン、いずれも福島駅前にあった大型の商業施設だ。

 2003年発行の冊子「ラジオ福島開局50年の歩み」によると、中合が駅前に移転した翌年の1974年、「5月24日コルニエツタヤ1階に、初のサテライトスタジオ開設~生放送『コルニエツタヤでこんにちは』放送開始」。番組内容は「有名タレントの出演など」と記されている。さらに同年、エンドーチェーンや郡山市の丸光デパート、いわき市の平駅ビルヤンヤンでも同様の公開番組がスタートしたとある。この時代の商業施設は買い物をするだけではなく、人が集まる特別な場所だったことがうかがえる。

 時は高度経済成長期。前へ進む力強さや勢いのある時代の空気がうらやましい限りだ。(佐藤香)