オーバートレーニングの代償は大きかった。 疲労骨折は日常にも支障を来し、競技を始めてから一人でできていたことができなくなった。車いすの乗り降りも家族の協力が必要なほどだった。考えた末、代表を辞めた。 そして自分がまだやり遂げていないことは何か、この先の人生で必要なことは何かを考えた末、郡山萌世高への編入を決めた。この選択が本当に良かった。いろんな人生を歩む年齢の違う同級生と共に学び語り合った。授...
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