試行錯誤を続ける中、最初の卵が2009年3月に産み落とされた。この卵をどう市場に出し、収入を得るか。難題に直面した。
販路拡大に向けてまず頼りにしたのは、今でも交流があり、会津坂下町の酒屋を営む幼なじみだった。酒屋の顧客である東京都内の飲食店などを紹介してもらった。人脈が少ない私にとって大きな味方だった。
利益が必要なため多くの取引先が必要だった。経費を考慮して単価を卵1個当たり80円に設定した。高価格に設定したため、紹介されたところ以外の営業先はコスト面で敬遠されるのが当然という中、営業をかけ続けた。
旅館や飲食店で調理場を任される料理人は「使ってみたい」と興味を示してくれていた。経営も担うオーナーシェフなら、提示した単価で商談は通るが、経営者が別だとそうはいかなかった。料理人と経営者の需要のギャップを肌身で感じる苦戦の日々が続いた。
卵を売るための努力を続けたが、取引が毎日決まるわけもない。しかも買い手となってくれるのは、素材にこだわる日本料理店など、消費が少量の事業所が主だった。卵の売り上げで生活できる状況には程遠かった。
販路の拡大は、人生の中で最も苦労したことだったと思う。部活動や学校での成績、サラリーマンとしての仕事は、努力や工夫があれば乗り越えられることだった。しかし、生み出した商品の販路を確保するのは相手次第だ。経験したことのない壁に当たり、どうしようもない期間が続いてしまった。
この間、飼育したニワトリが産む卵は初日に1、2個だけだが、次の日は4個、その次の日は8個と倍に増えていく。事業の初年度は毎日100個以上の卵が生産されていた。取引先を開拓できないまま、廃棄せざるを得ない状況が数年続いた。じくじたる思いを抱き、頭を悩ませる日々が続いた。