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【6月4日付社説】長嶋茂雄さん死去/時代に愛された不世出の星

2025/06/04 08:05

 プロ野球の巨人で選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と称された長嶋茂雄さんが死去した。華のあるプレーと明るい人柄で戦後の高度成長期の日本を照らし、人々を勇気づけた功績は、野球界、スポーツ界にとどまらない。ご冥福を祈りたい。

 プロ野球が国民的スポーツとなったのは、長嶋さんの存在を抜きに語ることができない。

 巨人入団2年目に昭和天皇が観戦した試合で放ったサヨナラ本塁打は現在も語り継がれる名場面の一つだ。王貞治さんとの「ON」コンビで巨人を9年連続日本一に導き、勝負強い打撃と観客を意識した守備で、応援するチームを問わず愛される存在となった。

 選手として活躍したのは、巨人戦が普及の進むテレビで放送されるようになった頃と重なる。多くの人が同時に楽しみを共有する時代が生んだ最大のスターが、長嶋さんだった。娯楽が多様化、細分化する中、長嶋さんほどに国民の多くから愛されるスターの登場は難しいのではないか。

 巨人の監督を通算15年務め、5度のリーグ優勝、2度の日本一を成し遂げた。2度目の監督を務めた際には、後に米大リーグで活躍した松井秀喜さんを育てた。

 日本の野球は、世界一を決めるワールド・ベースボール・クラシックで3度の優勝を果たし、米大リーグでの大谷翔平選手らの活躍もあって高い評価を得ている。国内の試合にもチームを問わず多くの観客が詰めかけている。

 長嶋さんが選手、監督として野球の魅力を体現することでその人気を盤石のものにし、現在の選手らを生み出す土壌をつくった。その功績は計り知れない。

 長嶋さんは現役時代に郡山市で公式戦に出場し、ファンを喜ばせた。監督時代には矢吹町出身の中畑清さんを見いだし、主力選手に据えた。中畑さんは病気療養中の長嶋さんに代わってアテネ五輪で指揮を執るなど、長嶋さんとの強い師弟関係を築いた。

 東日本大震災直後には、被災者の助け合う姿に心を打たれたとし、「私もできることに力を尽くす、とお約束します」と励ました。東京五輪の野球・ソフトボール競技が福島市で一部実施されるのが決まった際には、「復興を続けている福島はじめ被災地の様子が世界の人々に発信されることを心から願っている」とのメッセージを本紙に寄せてくれた。

 長嶋さんの晩年は脳梗塞など、病との闘いだった。その中で本県の人々に温かい思いを向け続けてくれたことにも感謝したい。

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