相馬市を離れ、仙台市の写真館で働き始めた。月収は3万円。住み込みの修業だった。全国から来た同年代の跡取り息子と共同生活をしながら、職人としての腕を磨いた。 写真の修整技術を熱心に学んだ。今ではパソコンやスマートフォンがあれば誰でもプロ並みに気になる所を直せるが、50年前にそんな便利なアイテムはない。修整箱のすりガラスの上にフィルムで撮影したネガを置き、30ワットの裸電球の明かりの下、先端を長くと...
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