大学を卒業する頃はバブル期の少し前で、家業のドライブインが絶好調だった。紅葉シーズンはバスが1日50台ほど来て、予約が千人以上入る。卒業後は家業の東京案内所に1年間勤務し、本当はもっと東京の生活を楽しみたかったが、両親から「店が忙しすぎるから早く帰ってこい」と呼び戻された。 当時の仕事は食事提供と土産物店が中心だった。父と私で午前3時から仕込みを始め、毎日千食以上の準備に追われた。それでも予...
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