無農薬への道を歩むきっかけは亡き父須藤久孝が家族の健康を思いやる気持ちだった。 私の兄が生まれる直前の1971年。農薬を散布していた父を手伝おうと、妊娠中の母が農薬の入った袋に手を入れ、誤って農薬を吸い込んでしまったのだ。マスクをしていたし、吸ったのはほんの少量。それでも母は頭痛と吐き気に襲われ、倒れ込んだという。 母に駆け寄った父は「母体も生まれてくる子どもも危ない目に遭うかもしれない」との不...
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