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【9】会社離れる苦渋の決断 貴千専務・小松唯稔

2024/04/03 08:30

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(左から)長男の大祐(だいすけ)、長女の未侑(みゆ)、次男の功汰。「3・11」を考えるとき、震災からの時の経過と子どもたちの成長を重ねる

 2011年3月3日に次男の功汰(こうた)が生まれた直後だった。東日本大震災が起き、工場や道路の至る所にひび割れが発生した。幸いにして津波の直撃こそ免れたが、工場としての機能を失い、かまぼこの製造はできなくなった。 心苦しいことだが、当時は目に見えぬ放射線の影響の恐怖から、私たち夫婦と2人の子どもは取引先の業者を頼り、東京に避難した。 両親や従業員を残し、会社を離れるのは苦渋の決断だった。しかし、...

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