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在りし日を支えに 浪江・舛倉さん、請戸帰郷「母さん姉さん、そばにいるよ」

2025/03/12 09:00

「震災を思い出したくないのが本音。でも忘れられない日でもある」と母や姉夫婦への思いを寄せる舛倉さん=浪江町

 東日本大震災から14年となった11日、県内各地で追悼の祈りがささげられた。浜通りでは、住民たちが津波などで犠牲となった家族や友人、知人の在りし日を思いながら、未来へ向かって新たな一歩を踏み出した。

 「思い出したくないのが本音。でも忘れられない日でもある」。浪江町の舛倉美津枝さん(72)は町内の沿岸部・請戸地区にある大平山霊園を訪れ、母と姉夫婦の墓前に静かに手を合わせた。14年前、東の海から真っ黒な波が押し迫ってきた光景は、今も忘れがたい記憶として焼き付いている。

 震災前、請戸地区で鮮魚店を営んでいた舛倉さん。地区の伝統行事「安波祭」では、家族で踊り手を務めていた。3月11日は母森口千代子さんと姉末永美代子さんの3人で、姉夫婦宅で仲良くお茶をしていたところだった。地震が起きた後、舛倉さんはすぐさま、自宅に残した義母を避難させるために2人と別れたのが、最後となった。

 自宅に戻るとパトカーに促され、急いで高台へと逃げた。沿岸部を振り返ると広がっていたのは真っ黒な海の姿。「姉は私よりきびきびしている。母と一緒に早く逃げているはずだ」。そう願うしかなかった。

 原発事故の影響も受け、避難所を転々としながら、母や姉の名前が書かれた名簿を必死に捜したが、どこにもなかった。5月にようやく請戸地区への一時帰宅が許可され、変わり果てたまちを歩くと、姉の車が見つかった。「なんでもっと早く逃げなかったんだ」。車をたたいて、やり場のない悲しみをぶつけるしかなかった。

 その後、姉の遺骨が見つかり、母は行方不明のままだ。「あの時『一緒に早く逃げよう』と言えていれば」。今でも自問自答している。

 心にもどかしさを感じながら生活してきた中で、舛倉さんは今年2月、避難先の南相馬市から請戸地区に戻り、災害公営住宅に入居した。「そばに帰ってきたよ。これからはいつでも会えるよ」。舛倉さんは手を合わせ、心の中でつぶやいた。

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