相馬市の理容師立谷幸一さん(63)は、東日本大震災の津波で1975(昭和50)年開業の同市原釜の店舗兼自宅を失った。震災翌日に店の流失を知って「ただあぜんとするだけだった」が、「いつまでも引きずっていられない」と翌年3月、市内の内陸部に店を再建した。今でも8割は昔なじみの客。「震災でも切れない絆に感謝だね」とはにかむ。 津波に東京電力福島第1原発事故が重なり、一時は福島市の友人宅に身を寄せた。...
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