福岡県川崎町で1960年、旧豊州炭鉱に川の水が流れ込んで水没し、作業員67人が犠牲となった事故から65年となるのを前に、同町で15日、慰霊祭が開かれた。遺体の収容は当時から断念されたままで、伯父を亡くした同県飯塚市の団体職員安永光恵さん(71)は「きちんと供養ができるよう遺体を収容してほしい」と訴えた。
事故は60年9月20日に発生した。豪雨で増水した中元寺川の川底と、地下にある炭鉱の間にある地盤が崩壊し、川の水が炭鉱内に流入。作業員220人のうち67人が死亡したとされる。炭鉱は閉山した。二次災害の可能性があるとして、遺体の捜索と収容は断念された。