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牛島満司令官の辞世の句、改変 沖縄戦、軍部が戦意高揚図ったか

2025/10/08 16:07

 牛島満氏

 太平洋戦争末期の沖縄戦で、防衛に当たった日本陸軍第32軍の牛島満司令官が自決前に打電した辞世の句が、戦意高揚を図る内容に書き換えられた上で、当時の新聞各紙に掲載されていたことが8日までに分かった。確認した沖縄国際大の吉川由紀非常勤講師(沖縄戦研究)は「句を受け取った軍中央部が改変した可能性がある」との見方を示している。

 国立公文書館アジア歴史資料センターが公開している電報の資料や、沖縄県が編さんした県史の資料編によると、句は元々「秋ヲモ待タデ 枯レ行ク島ノ田草ハ 帰ル御国ノ春ヲ念ジツツ」と記されていた。送信は1945年6月18日だった。

 しかし、沖縄での日本軍の組織的戦闘が終わった後、26日以降の新聞には「秋を待たで 枯れゆく島の青草は 皇国の春に甦らなむ」との句が掲載された。

 吉川氏によると、元の句は「田草のような私は死んでいくが、日本が戦争に勝ち、安泰となることを願う」との意味。一方、新聞の句は臣民(青草)が「再び立ち上がってほしい」(皇国の春に甦らなむ)という内容になっている。

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