俳優の志尊淳が、きょう25日放送の日本テレビ系『おしゃれクリップ』(毎週日曜 後10:00)に出演。30歳の節目を迎えた今、知られざる幼少期から現在に至るまでの波瀾万丈な半生を母へのインタビューとともに振り返り、両親の離婚、芸能界デビュー、家出、死を覚悟した大病などの転機に、親子がそれぞれ感じていた思いを明かす。
【番組カット】大病に直面し抱いた“家族への後悔”…涙ながらに明かす志尊淳
「隠していることがない」と語るほど、母と良好な関係性を築き、よく連絡も取り合っているという志尊。番組のインタビューに答えた母も「芸能界という荒波を共に戦ってきた」と、親子二人三脚の絆は深いと語る。そんな母は、志尊が幼い頃に離婚してからは、女手ひとつで三兄姉を育て上げてきた。志尊が今でも忘れられないという母親から離婚を打ち明けられた際の涙を明かす。そして、それまでやんちゃだった志尊の心には、“家族への心境の変化”が芽生えたという。
15歳で芸能界入りを果たした志尊。その裏には本人の覚悟と、その思いを支えた母の奮闘があった。その後、ミュージカルで俳優デビューを果たした志尊に、母親は感激。一方、志尊の兄姉は、志尊に対して冷ややかな反応を示すこともあった。順調な船出に思えた芸能活動だったが、志尊は家族との関係性に悩み、「誰も応援してくれてない」と、17歳で家出を決意。その行動に、母は「毎日憂鬱で」と苦しみつつ、家族と離れてまで芸能界の道に進む息子の姿に、覚悟も感じたと振り返る。MCの山崎育三郎も「(現在の)この活躍につながってたと思う」と口にした自身の決断を、志尊が「あの時はあってよかった」と語る。
志尊は数々の話題作に出演し、人気俳優としての地位を築いた。しかし、4年前には心臓の大病・急性心筋炎を患い、一時はICUに入るほどの入院生活を余儀なくされた。「前兆なんて何もなかった」という志尊を突然の病魔が襲った。命の危機を救った医師の診断にMC陣が驚がくするなか、志尊はそこで感じた家族への後悔と、毎日送っていたという“遺書”に込めた「母親の子どもで生まれて、幸せだった」という思いを涙ながらに明かす。
志尊淳、4年前の大病時は毎日遺書を送っていた 涙ながらに“家族への後悔”明かす「母親の子どもで生まれて、幸せだった」
2025/05/25 06:00
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