【映画・フラガール(下)】いわき市、古殿町 地元一体で名シーン

 
クライマックスシーンの撮影に取り組む蒼井優(前列左から2人目)ら=2006年2月、スパリゾートハワイアンズ

 炭鉱のまちの起死回生策として、いわき市に1966(昭和41)年オープンした大規模レジャー施設「常磐ハワイアンセンター」(現スパリゾートハワイアンズ)と、そのシンボルである女性ダンサーたち。その実話を基に製作された邦画「フラガール」(2006年、李相日監督)の撮影は、当時を知る地元いわきの人たちの力を得て進められた。

 ぐずぐずの鍋

 撮影現場には、多くの住民がボランティアなどとして参加した。同市の会社員空閑(くが)孝昌さん(49)はエキストラとして複数のシーンに出演。ダンサー紀美子の兄・洋二朗(豊川悦司)ら炭鉱作業員がバスから松雪泰子演じるダンス講師を見てくぎ付けになるシーンでは「本物の松雪さんだ、きれいだなあ」と素直な感動が演技に表れたという。

 空閑さんは、飲み屋のシーンでも「客」として出演したが、何十人ものスタッフがいてカメラを構えられる中で「緊張せずにはいられなかった」と話す。製作陣から「何げない客の会話をして」と言われたが「1960年代の何げない会話ってどんなのだろう、生まれていないし」と苦笑いする。

 フラガールの撮影は約3カ月と長期にわたった。現場ではキャストやスタッフとボランティアらが一緒に食事するなどして距離感が縮まり、早く撮影が終わると町に繰り出して飲みに行ったりもしたという。「みんな仲良くて楽しい雰囲気だった」と関係者は口をそろえる。

 中でも、多くの人たちの記憶に残る、こんなエピソードがある。本作の名シーンの一つに数えられる、芸人「しずちゃん」こと山崎静代演じる熊野小百合が、「炭鉱の事故で父危篤」との知らせを受けながらも「踊らせてくんちぇ」と涙ながらに願う場面。その撮影の日は、終了予定時刻が比較的早かったため、地元のボランティアらが、みんなで楽しもうと名物のアンコウ鍋を用意していた。

 しかし、なかなか撮影は終わらない。しずちゃんが涙を流す演技に苦労していた。午後6時終わりの予定が10時を回り、鍋のアンコウは煮崩れた。「踊らせてくんちぇ、の裏にはぐずぐずのアンコウがあった」(空閑さん)と、当時を知る人の語りぐさとなっているという。

 初めての感動

 そして、クライマックスでは、ボランティアの熱気も最高潮に達した。

 周囲の反対もありながら開業にこぎ着けたハワイアンセンターで、蒼井優ら演じるダンサーたちがフラダンスを披露する最後の名シーン。これを撮影するため、現在のステージの脇に、開業当時を再現した別の舞台が設置され、地元のラジオ放送などで募集された約1400人のエキストラが観客役を務めた。

 そして、製作陣が出したエキストラへの指示は「あなたたちは今、初めてショーを見る人の役です」。つまり、ハワイアンズに日頃から親しんでいる地元の人々に求められたのは、フラダンスを見る「初めての感動」。言うまでもなく難題だった。

 しかし、撮影と並行して一からダンスレッスンに励んでいた蒼井優らフラガールの切れのある踊りを見た、千人を超す「観客」は、自然と拍手し、歓声を上げていた。

 このダンスを劇中では、蒼井演じる紀美子の母が、観客席の端からそっと見守る。前列から見届けるプランもあったが、母役の富司純子は「娘の夢にあれだけ反対した母親が、最後に前に出るのは無理です」と監督に直談判したという。熱気を帯びたステージと、それを陰ながら見守る母親は、作品を象徴する名シーンとなった。

 作品で描かれた半世紀前から、プロとして苦しい時でも優しい笑顔をふりまいてきたフラガール。東日本大震災や新型コロナウイルスの困難にも負けずにステージに立ち続ける姿は、映画同様にこれからも見る人を励まし続けるはずだ。(一部敬称略)

【映画・フラガール】いわき市、古殿町

 【スパリゾートハワイアンズへのアクセス】常磐道いわき湯本インターチェンジから車で約5分。JR湯本駅から車で約10分。

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 【呼び名が定着】映画のヒットでフラガールの知名度は全国区になった。「フラガール」の呼び名が定着したのは映画公開後。ハワイアンズの担当者は「昔はダンサーさん、踊り子さん、と決まった呼び名がなかった」と話す。「フラガールになりたい」と志す若い女性も、映画の影響で増え始めた。ハワイアンズによると、1990年代~2000年代初めにはダンサーが十数人にまで減少した時期もあった。しかし、映画の公開後は毎年志願者が殺到し、今年3月現在で40人ほどまで回復している。

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 【応援する会】地元では、いわき市などを発起人とする「映画『フラガール』を応援する会」が、クランクインから約1カ月後の2006年2月結成された。活動は、サポーターの募集やのぼり旗の設置など多彩で、市内の観光地を周遊する無料バスの運行も。バスは、劇中登場する2台のボンネットバスで、映画封切りの同年9月から12月まで運行され、観光誘客にも力を発揮した。