【 種の浜 】<浪の間や小貝にまじる萩の塵> 祭りの後...にじむ充実感

 
「おくのほそ道」の旅で芭蕉が訪れた最後の歌枕「色浜」の穏やかな波打ち際。ますほの小貝を探したが、ついに見つからなかった。ぽつんと浮かぶ二つの小島が水島=福井県敦賀市

 「おくのほそ道」(以下「ほそ道」)の旅も、ゴールが間近に迫ってきた。越前(福井県)の旅である。変化に富んだ展開は、読み応え十分である。

 と、その前に前回の続き。出発から松尾芭蕉と苦楽をともにした河合曽良が、病で別行動をとることになった。越前もそう遠くない山中温泉(石川県加賀市)の場面だ。実は金沢の門人立花北枝(ほくし)も同行していたが、曽良との別れはこの旅最大の事件である。

 喜劇的な新相棒

 同時に芭蕉は「出会い」も描いた。山中温泉で芭蕉たちが宿泊した宿屋、泉屋の主人久米之助(長谷部甚左衛門)は弱冠14歳。芭蕉は、優れた俳人だった彼の亡父(実は祖父)の痛快な逸話を紹介し、少年への温かなまなざしを記した。

 「久米之助は芭蕉に気に入られ『桃妖(とうよう)』の俳号を贈られたが、本人は女偏がいやなようで『桃夭』も使った。美少年だったらしい」と山中温泉芭蕉の館の平井義一館長は話す。ちなみに同館は、泉屋に隣接した「扇屋」別荘を改築した建物だ。

 この出会いと別れが、北陸路では、劇的に繰り返されていく。日記を付けていた曽良がいなくなり正確な日時は不明だが、1689(元禄2)年8月10日前後。西行が詠んだ汐越の松を過ぎ越前に入ると芭蕉は、丸岡(松岡)の天竜寺で再び別れの寂しさを味わう。金沢へ帰る北枝に芭蕉は〈物書(かき)て扇引(ひき)さく余波(なごり)哉〉記念の句を書いた扇を引き裂いて贈り、名残を惜しむことだ、の意―の句を贈った。

 そして、数日後到着した福井の城下で、ドラマは新たな出会いとともに新展開を見せる。

 芭蕉は、十数年前に江戸で会った等栽(とうさい)という隠者を訪ね歩いた。福井俳壇の古老とみられるが、今も素性不明の人物だ。芭蕉は「老いてしまったか、亡くなっただろうか」と思いつつ、人に聞くと存命と言われ、粗末な小屋を訪れると女性が現れ...。隠者捜しというファンタジー的な話が、「源氏物語」夕顔の文章を下敷きにしてパロディー風につづられる、何とも不思議でユーモア漂う場面である。

 そして登場した等栽は、芭蕉が名月を見に敦賀の港へ旅立つと言うと、着物の裾を妙な格好にからげて「道案内しよう」と、はしゃぎ立つ。「ほそ道」には出てこなかった喜劇的な新・相棒が、物語の空気をカラリと一変させるのだ。

 さて、二人が8月14日着いた敦賀は、井原西鶴がかつて「北国(ほっこく)の都」と書いた港町だ。敦賀市博物館の高早恵美館長補佐(48)の解説によると、敦賀港は戦国時代後半から江戸時代、北日本の日本海沿岸で積んだ海産物やコメなどを上方へ運ぶ際に荷揚げした拠点港だった。芭蕉の頃は、大阪湾で荷揚げする西回り航路の開発で圧倒的優位は失うが、大港湾都市には違いない。

 そして、現在も気比神宮の荘厳さ、気比の松原の白砂青松は見事である。ただ、今も昔も残念なのは変わりやすい天候だ。名月を待ち望む芭蕉は〈名月や北国日和定(ほっこくびよりさだめ)なき〉中秋の名月に雨とは、北国の天気は実に変わりやすい―の意、と詠んだ。

 記者も、この日和を心配しつつ現地を訪ねたが、運良く正午ごろの敦賀湾上空は良く晴れ、海面は湖のように静かだ。「これは行ける」と、敦賀半島の北端に近い色浜(いろがはま)を陸路目指した。芭蕉がこの旅で最後に訪れた歌枕、「ほそ道」に記した奥州・北陸最後の地である。

 不思議な温かさ

 芭蕉は16日、回船問屋の主人が仕立てた船で、種(いろ)の浜(色浜)の遊覧に出掛けた。天気は晴れ。酒や料理を楽しみながらの行楽だったが、小さな漁村に降り立つと、夕暮れの情感をこう詠んだ。〈寂しさや須磨(すま)にかちたる浜の秋〉〈浪の間(ま)や小貝にまじる萩の塵(ちり)〉。その寂しさ、秋の趣は有名な須磨にまさる。浜には小貝にまじって萩の花屑(はなくず)が散り敷いている―の意。花屑は、西行が詠んだピンク色の二枚貝「ますほの小貝」のイメージといわれる。

 原文からは、黄昏(たそがれ)る地の果てで、祭りの後の寂しさにひたる芭蕉が浮かぶ。同時に不思議な温かさが漂う。福井以降の軽快なテンポもあろうが、旅を終えようとする俳聖の充実感を映しているようにも思える。

 この旅路の果てに記者がたどり着くと、北国の定めか、太陽は雲に隠れていた。シーズンオフで民宿と釣り宿が並ぶ集落は静かだ。ただ、砂州でつながった二つの小島「水島」が浮かぶ美景が際立っていた。芭蕉は、その風景も記さず「其(その)日のあらまし、等栽に筆をとらせ寺に残す」と結んだ。余韻だけが漂う終幕である。

【種の浜】<浪の間や小貝にまじる萩の塵>

 【 道標 】色浜は最後を飾る歌枕

 敦賀は、『おくのほそ道』の最後の「旅の舞台」です。このうち種(いろ)の浜(色浜(いろがはま))は、この旅で芭蕉が訪れた最後の歌枕でもあります。旅を終え日常に戻った場所である大垣とは別の意味で、芭蕉の終着地だと思います。
 『ほそ道』を読むと、山中温泉では、曽良との別れという大きな区切りが描かれました。続く天竜寺での北枝との別れも、曽良との別れの余韻の中にあるようです。
 この区切りを経て、芭蕉が福井城下へ入っていく場面で物語の最終章が始まります。等栽との敦賀への二人旅は、それまでとは打って変わり軽やかに記され、旅の楽しさがにじみ出ているような気がします。なにか、苦しみや悲しみから離れたような雰囲気です。
 種の浜での小貝の句も、軽やかな中に詩情があふれています。旅の最後にふさわしい名シーンだと思います。(敦賀市博物館館長補佐・高早恵美さん)(インタビューを基に構成)