【旅の終わりに】俳人・長谷川櫂さん(上) 『時の激流』どう生きるか

 
はせがわ・かい 1954年、熊本県生まれ。東大法学部卒。読売新聞記者を経て、創作活動に専念する。「朝日俳壇」選者、サイト「一億人の俳句入門」で「ネット投句」「うたたね歌仙」主宰、「季語と歳時記の会(きごさい)」代表、俳句結社「古志」前主宰、東海大特任教授、神奈川近代文学館副館長。読売新聞に詩歌コラム「四季」連載。蛇笏賞、奥の細道文学賞、ドナルド・キーン大賞選考委員。「俳句の宇宙」など著作多数。66歳。

 松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出て330年の節目に開始した連載「おくのほそ道まわり道」は、白河や須賀川、福島など県内各地をはじめ、奥州・北陸のかなたまで俳聖の足跡をたどり、名句誕生の地を訪ねてきた。そして前回「むすびの地」大垣に至り、いよいよ終幕を迎えた。この旅の余韻の中、俳人の長谷川櫂さんに、芭蕉は「おくのほそ道」の旅を経て、どう変わったのか、何をつかんだのか、この旅の意味について聞いた。

 「おくのほそ道」を紀行文だと思っている人が多くいます。しかし、これは文学作品です。芭蕉が奥州・北陸を旅したのは事実です。ただ、その旅を素材にして練り上げた文学作品と割り切って考えないと、何かもやもやしたものが最後まで残ります。「おくのほそ道」をたどる場合、純粋な旅の記録である「曽良日記」に沿って歩くと、芭蕉が書いた本文からどんどんはずれ、逆に本文通りに行こうとすると、決してたどれない場所があります。

 最初と最後に川

 さて、文学作品にはテーマがあるわけですが、「おくのほそ道」の最大のテーマは「時間の猛威」です。

 人間は皆、時間の中で生きている。そして、時間の流れによって、世の中はどんどん移り変わってしまう。人間は年を取って死に、また新しい人が生まれる。この変転極まりない人間界が、時間によって出来上がっている。そんな時間の猛威の中で、人間はどうやって生きていったらいいか、はかない人生を人間はどう生きればいいのか―。

 これは原文にはっきり書いてあるわけではありません。全体を読んで浮かび上がってくる「おくのほそ道」の壮大なテーマです。

 「おくのほそ道」の旅は、江戸の深川を出て、150日ぐらいかけて大垣に到着します。この旅の前と後とで芭蕉は、一体どう変わったのでしょう。つまり、芭蕉はこの旅で何をつかんだのか。それを探求することが、この作品と取り組むときの正面玄関だと思います。芭蕉がつかんだことによって「おくのほそ道」は出来上がっているわけですから。

 これは気付かれていないことですが、非常に分かりやすい切り口があります。「おくのほそ道」の旅は、深川から隅田川をさかのぼって始まる。一方、旅の終わりの大垣では、芭蕉は船に乗り揖斐(いび)川を下って伊勢へ向かう。要するに、川で始まって川で終わる物語です。

 川は一体何を表しているのかというと、時間の大きな流れだと考えられます。芭蕉だけでなく、鴨長明の「方丈記」も「行く川のながれは絶えずして...」と始まっている通り、日本文学において、川というのは時間の比喩です。その川に浮かぶ船というのは、人生、人間の比喩であるわけです。

 この、時間を表す川の場面で始まり終わる構成は、「おくのほそ道」で芭蕉がつかんだことを考える上で、大きなヒントになると思います。

 かるみをつかむ

 二つの場面で、芭蕉は1句ずつ残しました。出発の時に詠んだ句は〈行春(ゆくはる)や鳥啼(なき)魚(うお)の目は泪(なみだ)〉。最後の大垣で残した句は〈蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行(ゆく)秋ぞ〉。ともに、集まってくれた門人らとの別れの句です。

 別れというのは、時間の激流の中の人間が、必ず体験しなければならないことで、生き別れも死別もあります。その別れにどう対処していくか。これが、時間の中をどう生きていくのかという問題の、具体的な問いになるわけです。

 この二つの句を見比べると、明らかに感じが違います。最初の〈行春や―〉は、漢字が多く、漢詩の一節のような印象があります。最後の〈蛤の―〉は、平仮名が多く、調べも非常になだらかです。それに「ほそ道」の原文を見ると分かりますが、〈行春や―〉は1行で書いてあるのに、〈蛤の―〉は3行の分かち書き、和歌の昔ながらの書き方になっています。

 つまり、ともに別れの句でありながら、出発の時の句は非常に重たい句になっている。これに対し結びの時の別れの句は軽い句になっている。この重さの違いが、芭蕉が「おくのほそ道」の旅を続け、つかんだものなんですね。それが、いわゆる「かるみ」です。150日の旅を続けているうちに、芭蕉の句というのは、これほど軽くなったということです。

 ただ、それは単に言葉の表現―漢字が多いとか、分かち書きであるとか、調べがなだらかだとかという俳句の表現の問題ではありません。芭蕉の人生観そのものです。芭蕉は、この旅で何かを見つけて吹っ切れた。それによって、俳句が軽々としたものになっていったのではないか、と推測できるわけです。

 この二つの句によって浮かび上がる、芭蕉の人生に対する考え方の違いが、「おくのほそ道」の成果と言えるのではないでしょうか。

 【ズーム】かるみ 蕉風俳諧で重んじた作風の一つ。移りゆく現実に応じた、とどこおらない軽やかさを把握しようとする理念。

旅の終わりに