21世紀には村の女性を海外に派遣して研修させる「主婦の翼」が飛んでいるはず―。 いいたて夢創塾(むそうじゅく)の「新春ホラ吹き大会」で女性が披露したこのほらが、当時の村長の目に留まった。ほらだったものが海外派遣事業「若妻の翼」へと名前を変え、実現に向けて本格的に動き出した。 1989(平成元)年、私は酪農を営む傍ら村の嘱託公民館長に就任していた。そして事業の運営を公民館が担当することになった...
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