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【4月13日付社説】郡山空襲80年/平和への思いつなぐ契機に

2025/04/13 08:05

 太平洋戦争中に米軍が郡山市の郡山駅周辺の二つの工場を標的に爆弾を投下し、学徒動員の若者などを含む460人の犠牲者が出た空襲から、きのうで80年となった。改めて、犠牲者のご冥福を祈りたい。

 「その日の朝まで住んでいた家はがれきと化し、隣組の人たちはほとんど亡くなりました」「もっと戦争が早く終われば、友人を失うことはなかった」。これらは、ここ数年に本紙に寄せられたり、取材に応じてもらったりした経験者の話の一部だ。こうした戦禍を経験した人々の実感が、現代日本の平和主義の礎となっている。

 ある日、日常生活が突然その姿を変える、戦争が長引いて、その間に大切な友人が亡くなってしまうというのはウクライナやパレスチナ自治区ガザに限らない。民間人が戦闘の犠牲となることは許されることではない。しかし、戦争となれば、それが不可避であるのをこの空襲は示している。

 若い世代には本県で空襲があったのを知らない人は多い。経験者が高齢化するなか、平和を守るとの思いをどうつないでいくかが課題だ。国同士の都合などで、戦禍が自らの身にも降りかかる恐れがあることを感じてもらうために、空襲の記憶を役立てるべきだ。

 本県、国内とも、民間人の犠牲は戦争末期に当たる1945年に集中している。もしも戦争がもっと早期に終わっていれば、免れる被害もあったのではないか。

 郡山が空襲された時期には、既に日本の敗戦は疑いない状況だった。しかし、政府は戦争を終えるのをよしとせず、「一億玉砕」などの空虚で、国民の命を顧みないスローガンを発し続けた。

 戦争は一度始まってしまえば、それを終えるのが極めて難しいのは、太平洋戦争や現代の世界情勢からみても明らかだ。郡山の空襲被害は、戦争そのものを回避することが最も重要であることを私たちに教えている。

 北朝鮮のミサイル開発や、中国が台湾に圧力をかけ続けるなどの覇権的な動きを受けて、日本政府は防衛力強化を進めている。そのようななかで、各国の平和的な共存を訴えることが能天気であるかのようにやゆしたり、先の戦争をあたかも賛美するような言動が国内でみられたりすることには、危うさを感じざるを得ない。

 平和が危機にさらされている今だからこそ、一人一人が平和の大切さを見直し、周囲の人や国にも戦争をしてはならないと訴えていかねばなるまい。それが郡山空襲が私たちに残した教訓である。

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