古関裕而は多くの戦時歌謡を手掛けたが、戦後に責任を問われることはなかった。しかし、自身の曲が前線の兵士やその家族らに歌われたことを「何とも言えない複雑な気持ち」と周囲に語っており、償いの気持ちを抱いていたようだ。 古関裕而を長年研究する斎藤秀隆氏(77)=福島市=は「不本意な戦時歌謡を強いられた古関も戦争の犠牲者である」と指摘する。加えて「古関は常に平和を愛する心を持ち続けた。その心が戦後、一...
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