129年前のきょう誕生した作家久米正雄(1891~1952年)。彼は通俗小説の書き手といわれるが、少年期を過ごした郡山でその面影をたどると、多面的で複雑な表情を持った作家に思えてくる。
久米が家族とその一室で暮らした洋館、開成館の前の道を東へ1キロ足らず進むと、こおりやま文学の森資料館がある。南側の裏口から敷地に入ると、すぐに白御影の句碑が現れた。〈魚城移るにや寒月の波さざら 三汀〉。「三汀(さんてい)」は久米の俳号。句は、彼の句集「牧唄」(1914年)に収められた代表作だ。
久米は旧制安積中時代から俳句にのめり込み、第一高等学校(一高)入学で上京すると河東碧梧桐門下で注目された。形式にとらわれず、月下の水底を移動する魚群をダイナミックに詠んだ「魚城―」の句は、この時期の作。通俗とは真逆の、早熟さ、感性の鋭さを感じる。
少し進むとモダンな木造家屋。久米が神奈川県鎌倉市で52年に没するまで過ごした私邸だ。移設され久米正雄記念館として公開されている。薄暗い洋室や座敷には昭和初期の雰囲気。展示されたスポーツ大会の賞品は、交流の広かった流行作家の一面を伝えている。
その玄関近くのアニメ調のパネルには驚いた。文豪たちをキャラクター化したシミュレーションゲームの登場人物「久米正雄」だという。29日まで同館で開かれている特別企画展「若き久米正雄と第四次『新思潮』」とのタイアップ展示だが、久米がかっこよすぎる...。
親友との確執
第四次「新思潮」は、久米が東京帝大3年の1916(大正5)年2月、一高の同級生だった芥川龍之介、菊池寛、松岡譲、成瀬正一と創刊した同人誌である。
芥川と菊池は今も有名な賞に名が冠され、松岡は「法城を護る人々」などの小説を残した。仏文学者になった成瀬は、彼がフランスの作家ロマン・ロランに直接手紙を書き邦訳権を得た「トルストイの生涯」を、久米たちと翻訳し、邦訳版の収入で「新思潮」の資金を作った。一人一人が作家を目指す情熱的なグループであり、酒席や手紙で文学論を戦わせ、悪い遊びをしたりする親友同士だった。
久米は、そんな仲間と競い合い、同誌に小説「競漕」や戯曲「阿武隈心中」などを意欲的に発表した。
しかし青春の光は陰りやすい。久米は「永久にやってゆく」と創刊号「編輯後に」に記したが、同人誌は1年余りで廃刊した。創刊の同年秋、松岡を除く同人たちが大学を卒業し、その環境の変化が直接の要因のようだ。そして久米と松岡との間に生じた確執もあった。
「破船」事件と呼ばれる出来事があった。
久米は第四次「新思潮」創刊少し前の15年晩秋、芥川とともに夏目漱石の門下に入り、松岡らも遅れて漱石宅を訪れるようになった。このため同誌は「漱石を第一の読者」とするようになったという。しかし、入門の1年後、漱石は死去した。
漱石の死後、久米は師の長女筆子との結婚を鏡子夫人と筆子に申し込んだ。この縁談話は当時、新聞などで話題となったが、弟子たちの反発もあり話は進まない。その間、久米が婚約した印象を与えるような小説を発表したことなどで、夏目家の態度が硬化。久米は出入り差し止めになり、筆子の意思で松岡との結婚が決まったという。
この失恋から5年後の1922(大正11)年、久米が雑誌連載を始めた小説が「破船」である。師である作家の死後、主人公が結婚を誓った師の娘を親友に奪われる筋立てで、久米を人気作家に押し上げたという。
失恋の体験は、久米が純文学から通俗小説へ向かう転機だったようだ。同時に絶交状態だった久米と松岡の関係は、「破船」で松岡を模した親友が敵役として描かれたことで、修復不能になったように見えた。
内面を繊細に
久米と松岡は学生時代、ほれ合った夫婦のようだといわれたと、松岡自身が記している。そんな二人も、青春の終わりとともに決別した...。少し苦い思いを抱えながら、資料館への道を進むと、はがきを拡大した大きなパネルの1枚に目が行った。
宛先は久米、差出人は松岡だ。消印は1936(昭和11)年4月6日。文面は、成瀬の書簡が80通余りあり、交じっていた久米宛ての手紙を届けるか―との内容。この日は、急逝した成瀬の葬儀の日だった。
パネルの近くでは、久米の胸像が笑みを浮かべていた。これが久米の造語として有名な「微苦笑」のようだ。久米は、登場人物の内面―自嘲やプライドなどを、それぞれの微笑で描写する。この繊細さが久米の通俗ではない魅力だろう。では、胸像の微苦笑は、悔恨か、懐旧か、青春への憧れだろうか。
こおりやま文学の森資料館特別企画展「若き久米正雄と第四次『新思潮』」図録、関口安義著「評伝 松岡譲」を参考にした。
【こおりやま文学の森資料館へのアクセス】JR郡山駅・郡山インターチェンジ(IC)から車で約10分、郡山南ICから約15分。バスの場合は郡山駅前7番線・さくら循環虎丸回りで総合体育館前下車。
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【第四次「新思潮」】1916(大正5)年2月から17年3月まで、当時東京帝大の学生だった久米正雄と芥川龍之介、松岡譲、成瀬正一と、京都帝大に在籍した菊池寛の同人5人によって発刊された文芸雑誌。創刊号には、学校の火事でご真影を焼失した責任を負い自殺したといわれる校長だった父を題材にした久米の小説「父の死」、夏目漱石が高く評価した芥川の小説「鼻」などが掲載された。11号目の「漱石先生追慕号」で廃刊した。「新思潮」は、1907年に小山内薫が創刊した第一次に始まる、主に東京帝大、東大の学生たちが発刊した同人雑誌のタイトル。70年代まで引き継がれたといわれるが、第四次創刊メンバーの5人は特に「新思潮派」と呼ばれた。
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【特別企画展】郡山市こおりやま文学の森資料館の開館20周年記念特別企画展「若き久米正雄と第四次『新思潮』」は29日まで同館で開催中(24日は休館)。大正文学を支えた柱の一つといわれる雑誌、第四次「新思潮」と、久米正雄たち同人を原稿や書簡など豊富な資料で紹介している。入館は午前10時~午後4時30分。一般200円、高校・大学生など100円。中学生以下・65歳以上・障害者手帳持参者は無料。